
真我を知る ― 第4章〜第6章の教え
インド哲学の深遠な叡智を伝える
アシュターヴァクラギーターには
『真我(純粋意識)を知る(氣づく)こと』
これこそが人間の究極の目的である
というメッセージが繰り返し語られています。
ここでは
第4章「真の探求者」
第5章「溶け去る」
第6章「知識」
の教えを比喩の意味も含めてひとつずつ丁寧に
解説していきます。
1.智慧ある人は真我を知って
人生というゲームを楽しむ。
だが、愚か者は、重荷を背負うロバのように
この世を生きる。
《意味・解説》
「人生はゲームのようなもの」
これは、人生を深刻にとらえすぎず
軽やかに遊びのように楽しめる境地です。
真我(純粋意識)を知ることで
人生の浮き沈みもただの経験と受け止め
執着や恐れから解放されます。
一方、無知な人は
責任・義務・欲望・不安を背負い込み
まるで重荷を運ぶロバのように苦しみ続けます。
2.真の探求者は、インドラや神々にさえ
手の届かない崇高な境地にあっても
得意がることはない。
《意味・解説》
ここで言う「インドラ」は神々の王。
つまり人間を超えるような存在です。
真の探求者は、神々も及ばない崇高な
境地に達しても、それを誇ったり
自慢することはありません。
なぜなら、彼にとって
「誰かより上」「優れている」
といった比較は意味を持たないからです。
真我を知る人は、ただ自然体で
静かな謙虚さを身にまといます。
3. 彼はものごとの本性を知っている。
彼のハートは正邪の区別に汚されない。
空が煙に汚されることのないように。
《意味・解説》
真の探求者は「善か悪か」「正しいか間違いか
といった二元的な価値観に染まりません。
たとえば
空に煙が流れても、空そのものは何も影響を
受けないのと同じです。
彼の心は清らかで広大。
だから他者の行為や社会の評価に
乱されることはなく、物事をあるがままに
見ることができます。
4. 彼のハートは純粋。
彼は全世界がただ真我であることを知っている
だから、彼が望みどおりにすることを
誰が止められよう?
《意味・解説》
真の探求者は「すべては真我のあらわれ」
であると知っています。
だから彼の行為は、エゴからではなく
自然な流れとして生じます。
そんな人の生き方を、外からとやかく
止めることはできません。
彼は「宇宙の意志と調和した存在」
そのものだからです。
5. ブラフマー神が草の葉にいたる
四種類の生きものの中でも、ただ賢者だけが
欲望と嫌悪を棄て去る力をもっている。
《意味・解説》
インド思想では、生きものは
「胎生・卵生・湿生・種子生」の四種に
分けられるとされます。
そのあらゆる生きものの中で
「欲望と嫌悪」を手放すことができるのは
真の賢者だけ。
これはとても強いメッセージです。
欲望や嫌悪こそが、輪廻と苦しみを
生み続ける根源だからです。
覚者はそれを超えるからこそ
自由でいられるのです。
6.なんと彼は稀有な存在だろう。
自分が真我であることを知り
ものごとが起こるに任せて行為する。
そして決して恐れを知らない。
彼は自分がニのない、一なるもの
全創造物の主である真我だと知っているのだ。
《意味・解説》
ここでは、真の探求者の希少性と偉大さが
讃えられています。
彼は「すべての根源が自分(真我)である」と知っている。
だから、未来を恐れることもなく
自然な流れに従って行動できるのです。
「ニのない一なるもの」とは、分離も対立も
存在しない純粋な意識そのもの。
真の探求者は、もはや「私」と「世界」を
分ける境界を超えた存在なのです。
「人生はゲーム」
→ 真我を知る者は人生を遊びとして
軽やかに生きる。
「神々を超えても驕らない」
→ 崇高な境地に至っても謙虚さを失わない。
「空と煙」
→ 善悪や二元の価値観に心は染まらない。
「全世界=真我」
→ すべては真我であるため
自然に自由に行為できる。
「欲望と嫌悪を超える」
→ それを捨てきれるのは賢者だけ。
「二のない一なるもの」
→ すべてと一体であるため
恐れから完全に自由。
この章が一貫して示すのは
「真の探求者とは、欲望や恐れを超え
すべてが真我であることを知り
自由にして謙虚に生きる存在である」
という智慧です。
1. あなたは何ものにも汚されることの
ないほど純粋だ。
いったい何を放棄するというのか?
身も心もすべて明け渡して
あなた自身を溶かし去りなさい。
《意味・解説》
ここでは
「あなたは最初から純粋で汚れなき存在だ」と
語られています。
つまり、何かを新しく「放棄する」必要など
本当はないのです。
ただ、自我(エゴ)が作り出した
「私は不完全だ」という錯覚をまるごと手放すこと
そのとき、あなたは真我(純粋意識)へと
溶け込むことができます。
2. 海の泡のように全世界はあなたの内に
巻き起こる。あなたは真我あなたはひとつだ。
あなた自身を溶かし去りなさい。
《意味・解説》
「海と泡」の比喩です。
泡は一見、独立した存在のように見えるけれど
実際には海の表れにすぎません。
同じように、この世界のあらゆる現象は
あなたという大海の中に生じる泡のようなもの。
あなたは「海そのもの」であり
「一つの真我」なのです。
だからこそ
「小さな泡=個別の自我」にしがみつかず
広大な海に自己を溶かし去りなさい
と説かれています。
3. あなたは世界を見る。
だが、ロープを蛇と見間違えるよう
本当は世界は存在しないのだ。あなたは純粋だ。
あなた自身を溶かし去りなさい。
《意味・解説》
ここでの比喩は「ロープと蛇」。
暗闇でロープを蛇と勘違いして恐れるように
私たちは「世界が実在している」と
錯覚しています。
しかし、真理の視点から見れば
世界は幻想にすぎません。
あなたは世界に汚されず、すでに純粋そのもの。
幻想にとらわれず、真我そのものへと
自己を溶かしていくべきだと説いています。
4. 喜びや悲しみ 希望や絶望
生や死を通り抜けようと
あなたは変わることのない一なるもの。
あなたはすでに満たされているのだ。
あなた自身を溶かしさりなさい。
《意味・解説》
私たちは、人生の中で
喜びや悲しみ、希望や絶望、生と死といった
二元的な体験を繰り返します。
けれども、それらはすべて
「通り過ぎていく現象」にすぎません。
その背後にあるあなたは、変わらない
「一なるもの=真我」
あなたはすでに欠けることなく
満ち足りている存在です
変化に巻き込まれず揺るぎない本質へと
自己を溶かし去りなさい
と語られているのです。
「海と泡」
→ 現象は大海(真我)の表れにすぎない。
「ロープと蛇」
→ 世界は幻想にすぎない。
「喜びと悲しみ」「生と死」
→ 真我はそのすべてを超えた存在。
この章のメッセージは一貫して
あなたはすでに純粋で満ち足りている。
その幻想の自我を溶かし去りなさい
ということです。
1. 私は果てしない空間
世界は土でできた壺
これが真理だ
何を受け入れることもない
何を拒むこともない
何を消し去ることもない
《意味・解説》
ここでの比喩は「空と壺」
壺の中の空間は、外の大空と本質的に同じ。
壺が壊れても空間はなくならないように
個人の肉体があってもなくても
真我は変わらないのです。
つまり、あなたは
「壺(身体や個別の存在)」に限定された
ものではなく、果てしない空そのもの。
だからこそ
何かを受け入れる必要も
拒む必要も、消す必要もない
ただ存在しているのが真理です。
2. 私は海
全世界は波
これが真理だ
何にしがみつくこともなく
何を明け渡すこともない
何を消し去ることもない
《意味・解説》
ここでは「海と波」の比喩
波は一見、個別の存在のように見えますが
実際には海の動きそのもの。
同じように、世界のすべては「真我(海)」の
あらわれにすぎません。
だからこそ、波にしがみついたり
逆に捨てたりする必要はありません。
すべては自然に生じ、自然に消えていくのです。
3. 私は真珠貝
世界は銀の縞模様
すべては幻!これが真理だ
何もつかむものはなく
何を拒むこともない
何を消し去ることもない
《意味・解説》
この比喩はインドの伝統的な
たとえ話に基づきます。
月明かりの下で、真珠貝の中に銀の筋が
見えると、人は「銀がある」と錯覚します。
しかし実際には銀など存在しない。
同じように、世界も
「実在しているように見える」けれど
それは錯覚にすぎません。
だから、掴むものも、拒むものも
消すものも、本当は何もないのです。
4. 私は生きとし生けるものの中に存在し
生きとし生けるものは私の中に存在する
これこそが真理だ
何を受け容れることもなければ
何を手放すこともない
何を消し去ることもない
《意味・解説》
ここでは
「相互存在」の真理が語られています。
すべての生きとし生けるものは
真我の中にあり、同時に真我は
すべての生き物の中にある。
これは「分離がない」ということを意味します。
宇宙も生命も私たちも
すべては同じ一つの真我のあらわれ。
だから、何かを得たり失ったりする必要はなく
すべてはもともと一つに溶け合っているのです。
「空と壺」
→ 真我は壺の中に閉じ込められる空間ではなく
果てしない大空そのもの。
「海と波」
→ 世界の現象はすべて真我のあらわれ。
「真珠貝と銀」
→ 世界は錯覚にすぎない。
「相互存在」
→ 生きとし生けるものと真我は分離がない。
この章は一貫して
「真我は無限で、世界はそのあらわれに
すぎない。だから、得る・捨てる・消す
といった行為は不要だ」
という智慧を示しています。
手放すこともない
多くのスピリチュアルや心理学の教えでは
「すべてを受け入れましょう」
「執着を手放しましょう」と説かれます。
これはとても大切な実践で
心を整え、苦しみを和らげてくれます。
いわば
相対的な真理(心のレベルでの智慧)です
しかし、この第6章が語るのは
さらに奥の視点
絶対的な真理(真我のレベルの智慧)です。
なぜなら
受け入れるというのは
「受け入れる対象がある」と信じている前提。
手放すというのは
「掴んでいるものがある」と信じている前提。
つまり
対極がある=分離です
でも、本当のところはどうでしょう?
空は雲を「受け入れている」わけでも
波は海から「手放される」わけでもありません。
それらはただ自然に現れては消えるだけ。
同じように、世界も心も、すべてはただ
真我のあらわれであり
掴むものも、拒むものも、消すべきものも
そもそも実在しない のです。
ですから第6章では、こう語られるのです。
何を受け容れることもない。
何を手放すこともない。
何を消し去ることもない。
🪷Pure Soul からのメッセージ🪷
探求の道を歩むあなたへ。
第4章は「真の探求者の姿」を示しました。
欲望や恐れを超えて、すべてが真我であると
知るとき、人生はただの遊びとなり
あなたは自由にして謙虚な存在となります。
第5章は「自己を溶かすこと」を説きました。
あなたはすでに純粋で、満ち足りている存在
幻想の自我を溶かし去れば、海に泡が還るように
すべてがあなたの内に溶け込むでしょう。
第6章は「真我そのものの智慧」を示しました。
空と壺、海と波、真珠貝と銀
これらはすべて
世界がただ真我のあらわれに
すぎないことを告げています。
だから、受け入れる必要も、手放す必要も
消す必要もない。
あなたは最初から完全なのです。
Pure Soul からのメッセージはただひとつ
あなたは探求者でありながら
すでに求めるものそのもの。
何も足す必要はなく、何も捨てる必要もない。
自分が『すでに一なる存在』だと思い出して
あなたの魂は、はじめから自由で、純粋で
恐れを知らない。
その真理に気づくことこそが
探求の終わりであり、同時に永遠の
始まりなのです。
アシュターヴァクラギーター 第 四五六章
朗読を YouTubeに投稿しています
無になって、瞑想するように
聴いていただけたら嬉しいです♡








