pure soul true love 純粋意識⭐︎沈黙の書

真我の視点から、人生をより自由に、より愛に満ちたものへと変えていくためのヒントをお伝えしています

『現実を無視する』の勘違い

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『現実を見ない』というのは、現実から
目を背けることではなく、むしろしっかりと
直視したうえで、そこに囚われないこと。

近年『現実は無視』『現実はスルー』という
言葉をよく見聞きします。

この意味を勘違いして捉えておられる方が
多いなぁと感じています

『現実は無視』の本質は
『現実を観る』


どういうことかというと『現実を無視』とは
起こっていることをただありのままに見て
エゴのフィルターを通さず、そこに反応しないこと

反応しない=現実を無視

ありのままに見ようとせず、蓋をして
なかった事にするのとは全く違い

『現実に対する自分の在り方』が
未来をつくるということになります

現実を無視すると
どうなる?


現実を直視せずに無視してしまうと
自我(エゴ)が強く絡みついてしまいます

『これは見たくない』『これは私の波動に悪い』
『波動が悪いから避けよう』と
ジャッジして排除しようとするのが原因です

自我のジャッジを無くすのには
『ありのままにただ観る』こと

『これはこういう現れとして今ここにあるんだな』
とただ観る。

すると、その現実に余計なエネルギーを与え
ないので、自然と『現実をスルーできる状態』に
なるのです

結局

現実を無視しても、無視している自分の意識が
現実に反映される

だから、自分の在り方を整えること
これにつきます

現実を無視するのではなくありのままに
受け入れたうえでエゴを絡ませず
『ただ在る』こと。

そうすることで、自然と波動が変わり
現実も変化していくという流れになります

なんでもそうですが抵抗せずに
『自然で在ること』がとても大切です

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在る視点から観る
現実とは?

 

『在る視点』→ 真我・本来の自己・目覚め

この視点に立つと『現実自体』がただの
一時的な現れでしかないことがわかります

すべての出来事、感情、思考は
まるで雲のように現れては消えていくもの。

変わり続けるものは、本当の意味で
『リアル』ではないのです

でも、私たちの自我は、それを『リアルなもの』
として捉えて、そこにどっぷり浸かってしまう

だから、何かが起こるたびに、すぐに反応し
苦しんだり、喜んだりして忙しくなり
疲弊します

たとえば…

・ 誰かに批判された
→『傷ついた!どうしてこんなことを
言われるの?』と反応する

・ 失敗した
→ 『もうダメだ…』と落ち込み
自己否定・自暴自棄

・ いいことがあった
→ 『これがずっと続いてほしい』
と執着する

 

でも、これらのすべては
『エゴが作り出した反応』であり
真我そのものではありません

自我(エゴ)の根底にあるものは恐れです。

『いいこと、嬉しいこと』もそこに
執着してしまった途端に、恐れの波動が
うまれます

真我は、ただの『気づき(観照)』であり
どんな感情も出来事にも反応せず何もせず
ただ無条件の愛ですべて観ている存在。

(実際には観ているという意識もないので『ただ在るもの』)

『現実を観ない』という本当の意味のは
『エゴの反応ゲームに巻き込まれないこと』です

在る視点から
『現実を直視する』とは?

 

1. 現象をありのままに見る
(良い・悪いのジャッジなし)

2. 感情や思考が湧いても、それに巻き込まれず
ただ観る(気づきの意識)

3. 無理にコントロールしようとせず
『そうか、こういうことが起きたんだな』と
ニュートラルに受け入れる

4. そこに執着せず、静かに手放す

 

つまり、起こった出来事に対して
『これは〇〇だ』と判断しないで
ただ起こるままにさせること

『反応しない』=『無関心になる』
ということではないので、勘違いしないでね

『反応しない』というのは、ただ機械的
『何も感じない』というわけではなく

むしろ、感じるけれど、それに
振り回されない という状態です

・怒りが湧いても
『ああ、怒りがあるな』と気づき、反応しない

・不安が出ても
『これが不安か』と見つめ、飲み込まれない

・ 嬉しいことがあっても
『この感情があるな』と認識し、執着しない


こういうふうに、何が起きても
気づきの意識でそれを眺める。

すると『エゴが作り出したドラマ』に
引き込まれなくなります

要はいつもお伝えしているように

真我から自我を上手に扱う

ということです♡

まとめ

 

『現実を観ない』とは
現実を否定して蓋をする
のではなく

現実をありのままに見た上で
そこにエゴ的な反応をしないこと。

それができると、どんな出来事が起こっても
心は揺れなくなって安定します

苦しみや悲しみのループから抜け出し
ただ『今ここ』に静かに在ることができた時

本当の意味で『私の現実を生きる』ことが
できるようになります

 

Pure soul からのメッセージ》

どんな波が来ても、あなたは海のまま

現実は、波のように変わり続ける。

でも、あなた自身は、その波に
のまれることのない海そのもの。

どんな感情が起こっても、どんな出来事が
あっても、それはただの波。

波が立とうと、静かになろうと
海はただ海のまま。

『ただ在る』だけで、完璧です

 

《魔法の言葉 》

現実はただの波。私は海
現実は、私を変えられない
すべてが変わっても、私は変わらない
いつも 『ただ在る』 私でいるだけで
ただ在る視点で現実を動かすのは私

 

現実に呑み込まれてしまいそうに
なった時に、この言葉を思い出してね

今日も読んでくれてありがとう♡

 

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自我の同一化とは?ただ在る視点からの探求

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私たちは日々『自分』という感覚を
当たり前のように持っています。

・私は〇〇である

・私の考え

・私の感情

・私の身体


こうした『私』という感覚は
『自分そのもの』のように思えますよね

しかし、本当にそれが『私』なの?
と問いかけてみてください

もし『私』がそれらのものなら
それが変われば『私』も変わるはずです。

でも、変わらずに『在るなにか』が
今ここに存在している...そう感じませんか?

この『私』として感じているものの正体を
深く探ることが、心が解放されていく鍵と
なります。

すなわち『自我の同一化』 から自由になる
ためには『本当の自分とは何か』を
知ることがとても大切になります

本当の自分を思い出すための問い
《私は誰か?》はこちらの記事をご覧ください

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自我の同一化とは?

 

『自我の同一化』とは『本当の私』ではないものを
『私』だと信じ込むことです。

つまり、身体・思考・感情・立場・記憶などと
自分を重ねてしまうこと。

たとえば

・『私はこの身体だ』と思うと
身体の変化に一喜一憂する。

・『私はこの考えだ』と思うと
思考が変わるたびに自分がブレる。

・『私はこの感情だ』と思うと
感情に支配されてしまう。

・『私は〇〇な人だ』と思うと
そのイメージに縛られてしまう。

 

こうして『私ではないもの』を『私』だと
思い込むことで、苦しみが生まれます。

ということは、あなたの〇〇という名前さえも
本当の『私』ではないのです

〇〇という名前は、生まれたときに与えられた
もので、社会で生きるための『ラベル』
のようなもの。

でも、その名前を持つ前から
『私は在る』という感覚を誰もが持っている

もし、名前が変わったとしても
もし、記憶がなくなったとしても
もし、身体が変化しても

『私は在る』という感覚は変わらない。

〇〇という名前も『私』という思考も
『私はこういう人間だ』という自己イメージも
すべて後から作られたものにすぎないのです

『私は誰か?』と問い続けた先に残るもの

『観ている』『気づいている』
常にここに変わらず『在る』なにか

それが『本当の私(真我)』
純粋な存在(Sat)意識(Chit)至福(Ananda)

この『本当の私』には
自我(エゴ)が存在しません

 

なぜ私たちは
自我と同一化するの?

 

なぜ私たちは、自分ではないものを
『わたし』だと思ってしまうのでしょうか?

それは、私たちが 『気づく側』ではなく
『体験する側』に意識を向けているからです。

たとえば

映画に夢中になると、自分が観客であることを
忘れるように

夢を見ているとき、夢の中の登場人物に
なりきるように

私たちは、思考や感情の流れに巻き込まれ
『それを観ている存在』であることを
忘れてしまうのです。

しかし、どんな夢を見ても、どんな映画を観ても
本当のあなたは『ただ観ている』だけ です。

つまり普段の『私』という感覚は映画の登場人物に
なりきっているような感じであり

『それを観ている私』こそが、変わらず在る
真実『本来の私』なのです。

正確に言うと、それは『観ている』という認識
さえありません。

 自我の同一化を
超えるための視点

 

では『私は〇〇である』という同一化を超え、
本当の『私』に目覚めるにはどうすれば
いいのでしょうか?

そのためには『在る視点』に立つこと 

・私はこの身体ではない
→ でも、身体を『感じている何か』は在る。

・私はこの思考ではない
→ でも、思考を『観ている何か』は在る。

・私はこの感情ではない
→ でも、感情を『気づいている何か』は在る。

 

この『気づいている何か』こそが
本当のあなた
=真我(ただ在るもの)

どんな状況でも変わらず在り続けるもの
どんな体験をしても揺るがないもの

それが 『ただ在るもの』です。

自我の同一化から
自由になる実践

 

では、実際に『在る視点』に気づくための
簡単な実践を紹介してみます。

① 『これは私?』と問いかける

何かに強く執着したとき
『これは本当に私なのか?』と
自分に問いかけてみましょう。

・私はこの感情だ!
→ その感情を『感じている何か』がいる。
それは変わらず在る。

・私はこの考えだ!
→ その考えを『観ている何か』がいる。
それは変わらず在る。

この問いを続けると

『私は〇〇だ』という思い込みが
ただの一時的なもの だったことに気づきます。

 

② ただ気づく

思考や感情が湧いたとき、それを ジャッジせず
ただ気づいてみましょう。

・あ!今イライラしてる

・あ!また同じ考えが浮かんできた

そう気づくだけでいいのです。

すると『私はそれではない』と自然に
理解できるようになります。

 

③ 「沈黙の時間」を持つ

1日のうち少しの時間でも
『何もしない時間』を作ってみましょう。

何も考えず、何も判断せず
ただ、静かに在る

そうすると、思考も感情も、ただの波のように
流れていくことがわかります。

それを見ている『何か』 は流れもせず
いつも変わらず在ります。

それが 『本当の私』です。

 

Pure soulからのメッセージ》

あなたは、あなたが思っているより
ずっと自由です。

あなたは、どんな感情や思考にも
縛られていないことを忘れないでね

なぜなら、あなたは それを超えたものだから
あなたは ただ在るだけで
満ちているものだから

もし今、何かに苦しんでいるなら
そっと目を閉じて 『それを観ている何か』
を感じてみてください。

あなたは、すでにそこに在る 静かで
広がるような感覚 に気づくでしょう。

それが、 本当のあなたの在る場所 です。

そして、そこに気づいたとき
あなたは何よりも 『自由』 になれるのです♡

 

 《魔法の言葉》 

私はこの身体ではない。
ただ、この身体を感じているだけ

私はこの思考ではない。
ただ、この思考が浮かぶのを観ているだけ

私はこの感情ではない。
ただ、この感情に気づいている

私は変わらず在る。
ただ、それだけが真実。

 

今日も読んでくれてありがとう♡

 

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『私は誰か?』ただ在る視点からの探求


『私は誰か?』(Who am I?)という問いは
ラマナ・マハルシの代表的な言葉。

これは、単なる哲学的な思索ではありません。

それは、自分が本当は何なのかを直接見極めるための
究極の探求です。

この問いは思考を超え『在る』ことそのものを
明らかにするためにあります。

だけど、多くの人が『私』として認識している
ものは
本当の『私』ではありません

この探求を深めることで、私たちは
『私という感覚の正体』を明確にし、最終的に
『ただ在るもの』へと気づきを向けていきます。

 

『私は誰か?』という
問いの本質


『私は誰か?』という問いは
『自分は本当に何なのか?』を
探るためのものですが、その答えを外側の世界や
概念の中に見つけることはできません。

なぜなら『私』という感覚そのものが
常に何かを体験することで成立しているからです。

『私はだれか?』の私は、ふだん自分だと
思っている『個』としての私。
名前や身体、思考、感情、記憶に結びついた私で
本当の私(真我)ではありません

たとえば、以下のように考えてみてください。

 

• 私は身体か?
→ いいえ。身体は変化し続けるが
『私』という意識は変わらずに在る。

• 私は心(思考や感情)か?
→ いいえ。思考や感情は移り変わるが、
『私は在る』という気づきは常に変わらない

 

このように、私たちは『自分ではないもの』を
明らかにすることで『私が本当は何なのか?』を
浮き彫りにしていきます

そして、すべてを手放していったときに
最後に残るもの、それが 『真の私(真我)』です。

 

『私』という感覚の正体

 

普段、私たちは『私』という感覚を
五感を通して感じています。

• 見ている私

• 聞いている私

• 触れている私

• 味わっている私

• 嗅いでいる私


これらの感覚と結びつくことで
『私』は体験の中に存在しているように感じます。

この感覚は、自我の同一化を意味します。
なぜなら、その私は

『私』=体験する側に立つ『個』の意識
だからです。

真我は、体験の中に巻き込まれることなく
すべてを超えてただ在るもの。

でも、自我は思考・感情・出来事に自分を
結びつけ、体験そのものと同一化します。

たとえば

 

• 楽しいと「私は幸せだ」

• 悲しいと「私は苦しい」

• 何かを失うと「私は足りない」

 

と思う

でも、本当の『私』は、そのすべてを観ている
意識そのもの(実際は観ているという意識もない)

体験は変わっても、気づいている『何か』は
変わらない。

『私は悲しい』と思うとき、その『悲しみ』を
感じている私を観ている『何か』がいます。

その『何か』は、感情が変わっても
常にそこに在り続けているということ

だから『私は体験の中に存在している』と
思うのは『私は体験そのものだ』と信じている
自我の視点なんです

それらはすべて自我の活動であり
本当の『私』ではありません。

真我の視点からすれば、体験は
『ただ起こっているだけ』であって
本当の私(真我)ははどこにも行かず
何も変わらない。

ただ在る、静かに、永遠に。
それが『私』=自我ではないもの(真我)です。

 

『私』が消えると
何が残る?

 

『私は誰か?』という問いを深めるには
まず 『私』と思っているものを取り除いて
みる ことが重要です。

 

• 見ることをやめると
『見ている私』は消えます。

• 聞くことをやめると
『聞いている私』は消えます。

• 触れることをやめると
『触れている私』は消えます。

 

すべての感覚をやめると『私』という
感覚そのものが消えていきます。

しかし『それでも何かは在る』 ことに
気づくでしょう。

それが『本当の私(真我)』 です

 

『私は誰か?』という
問いの究極の意味

 

この問いを深く続けると、最終的に
『答えのない答え』に行き着きます。

 

• 何ものでもないが、確かに在る

• 形も名前もないが、疑いようもなく在る

• 何も定義できないが、常にそれでしかない

 

言葉で明確な表現ができないんです
だけど明確な『何か』がある

この気づきこそが 『純粋な在ること』であり

それは

『存在―意識―至福』
(サット・チット・アーナンダ) として
自覚されるようになります

この探求を続けると、思考や感情を超えて
何も考えずとも 『在る』もの、変わらず存在
し続けるもの、完全に静寂で満ち足りた『何か』
に気づくのです。

 

『私は誰か?』に対する
最終的な答え

 

探求の果てに行き着く答えは『私は在る』だけ
であり、それを説明する言葉さえいりません。

言葉で説明しようとすればするほど、それは
『私は誰か?』の本当の意味から遠ざかります。
(本当にそう思います)

だから、ラマナ・マハルシは
『沈黙こそが最高の教え」』としました。

なぜなら、 沈黙の中にこそ『私』ではなく
『ただ在るもの』だけが残るから です。

『私は誰か?』を深める
実践方法

 

この問いを単なる知識ではなく
『体験として深める』ことが大切です。

知識というのは、かえって自我(エゴ)を
拡大させてしまう時があるんですよね。。

だから知識として理解したら、次は体験として
腑に落としていくというのがとても大切に
なってきます。

それは決して難しいものではなく
日常生活の中で活用することができます

これは『私は誰か』という問いかけに限らず
精神性を磨き、霊性を高めていけるかどうかは
すべて日常生活での実践にかかっています

① 思考が現れたら
『誰がそれを見ているのか?』と問う
『私は怒っている』と思ったら
『この怒りを感じているのは誰か?』と内側で
問いかける。
→『怒り』と『それを観ている私』が分かれて
いることに気づく。

 

② 身体感覚や自己イメージを超えていく

『私はこの身体だ』と思ったら
『では、身体が眠っているとき
私は消えてしまうのか?』と問いかけてみる
→すると『身体がなくても、私は在る』
ことを実感する。

 

 ③ 最終的に『何でもないが確かに在る』に至る

すべての問いの答えを超えたとき
最後に残るのは 『私は在る』だけ。

それは思考でも感情でもなく、ただ静寂と気づき
に満ちた『何か』です。

それが『本当の私(真我)です

 

『私は誰か?』の問いが
もたらす本当の幸せ


では、この探求によって 『幸せ』を
見つけることはできるのでしょうか?

普通は『今ここ』で幸せを感じましょう!って
言われますよね。

でも『ただ在る視点』から捉えると
『幸せを感じている』があるうちは
それはまだ自我のレベルの幸せなんです

なぜなら

『幸せを感じている私』が存在しているから。

しかし、この『私』が消えたとき
そこには 『ただ在るだけで満ち足りた感覚』が
広がります。

それこそが、 本当の幸せ。
何があってもなくても
どうであっても

幸せしかない

最初から幸せしか存在しないんです

『私は誰か?』という問いを続けることで
本当の私が明らかになり、何もなくても
満ちている状態が訪れます。

それに気づいたとき、私たちは いつでもどこでも
本当の幸せの中にいることができるのです。

 

まとめ


『私は誰か?』という問いは

答えを見つけるための問いではなく
『すべての答えを手放すための問い』です。

問いを繰り返していきましょう

私は身体ではない

私は心でもない

私は思考や感情でもない

では、私は何なのか?

……ただ在る。

本当の私(真我)だけが残る

この 『ただ在る』の気づきこそが
真我の悟りなのです。

 

《魔法の言葉》

私ではないものを手放して

最後に残るものをみてごらん

 思考や感情を超えたとき出逢う

『私は誰か?』は本質へと向かうための言葉

 

 

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『ただ在ること』とは何か?ラマナ・マハルシの教えを深く知る

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『ただ在ること』は何か?

ラマナ・マハルシは『私は誰か?』と問い続ける
ことで、私たちの本質である『ただ在る・意識』
真我に目覚めることができると教えています。

この『ただ在る』意識が、本来の自己であり
すべての源、愛そのものです。

『ただ在ること』が最も大切。
何かを考えたりコントロールすることなく
思考や行為を手放し『ただ在る』にとどまる事
が重要だとラマナは伝えてくれています

この領域では
『私はいない』『私も他人もいない』

そしてこの言葉の意味を深く理解していないと
『ただ在る(真我)』には辿りつかないのかも
しれません

『私しかいない』『私も他人もいない』
頭ではわかっていても
深く掴みきれない人も多いのかもしれませんね

この言葉の意味をできるだけ分かりやすく
今の私が理解できる範囲で書いてみようと
思います(言葉での表現が本当に難しい)

『ただ在る』とは何か?

 

『ただ在る』とは、すべての根源であり
純粋な存在意識 です。

何も変わらず、ずっと永遠に在り続ける
無条件の愛そのもの

これは、私たちが普段『私』と思っている
個人的なアイデンティティ(肉体、思考、感情)
ではなくそれらのすべてを超えた、ただ純粋に
存在している意識となります

たとえば
目を閉じて『私』という感覚を探してみると、

・私は〇〇という名前だ
・私は〇〇な性格だ
・私は〇〇という仕事をしている
・私は〇〇という役職だ
・私は〇〇という役割がある

と思うかもしれません。
でも、その『〇〇』は全部後から生まれたもの

本当の『私』は、それらの思考が生まれる前から
ずっとただ存在していた『何か』です。

本当は言葉では表せないものだけど
感覚で最も近い表現をすると結局
『私は在る』となるように思います。

この意識が『ただ在る意識』であり
ラマナが
指し示す真我(本当の自己)

『私しかいない』
『私も他人もいない』

 

この言葉は、普通に思考で捉えると
矛盾を感じますよね。

この二つの言葉は、矛盾しているようで
実は同じことを言っています。


『私しかいない』とは?

『私しかいない』というのは
この世界のすべてが真我(ただ在る)から
生じているという意味。

つまり、現れているすべてが
『真我(本来の自己)』であり
それ以外の何かが存在しているわけではない
という意味になります

エゴや肉体の『私』ではなく
すべてを生み出し、すべてと一体である
『本当の私(真我)』しかないということ。

たとえば
夢の中を考えてみてください。

夢の中では、あなたもいて、他の人もいて
物や風景もあります。

でも、目が覚めたらどう?
夢の中にいたすべては 『あなたの意識』から
生じたものだったと気づきますよね。

自分の意識の顕れでしかなく、他に誰もいない。

同じように、この世界も
『ただ在る』意識真我から現れている
全てが真我からの顕れでしかない
真我=私(本来の自己)
だから『私しかいない』となるのです。

真我(純粋な意識)だけが実在する

 

『私も他人もいない』とは?

『私も他人もいない』とは
どういう意味でしょう?
『私しかいない』って言ってたのに
今度は私はいないって?
思考で言葉の表面だけ捉えると
意味がわからなくなりますよね

これは

『ただ在る』意識には、個としての
『私』や『他人』という区別が存在しない
ということ。


『私』という個人の意識がないのだから
『他人』というものも存在しない。


比較する対象がないのです

『観るもの・観るれるもの』というのもない
すべてが 一つの意識の中で現れているだけ。

海を思い浮かべてみてください

海が波が立っているとき
それぞれの波は
『自分は他の波とは別の波だ』と
思っているかもしれません。

でも、波の本質は何でしょうか?
全部が 『海そのもの』ですよね。

波は別々に見えても
海という一つの存在の中で現れているだけ。

また、海、川、雲、雨、雪という個は
それぞれ形が違って見えても
すべて本質は『水』

人、動物、物質、大自然、宇宙…
すべては異なる形をしているだけの
『ただ在る』意識。
本質は『ただ在る』ひとつの純粋意識(真我)

見えるものは、エゴや思考のフィルターを
通して分離しているように感じている
だけなんです

本当はすべてが一つ。

だから
私も他人もいないというのは

『私』という個人の意識がないのだから
『他人』というものも存在しない。

個としての『私』『あなた』という分離が
ただの幻想であるということです。

真我(純粋意識)だけが実在する

 

 

『全が一』『一が全』
この世界の真理


有名なこの言葉は
『私しかいない』『私も他人もいない』
という教えと繋がっています。

1. 全が一

→ すべての存在は、真我(ただ在る)
から生じているため、もともとは一つ。

この世界のあらゆるものは、分離しているように
見えて、すべて同じ源(愛)から生まれています

 

2. 一が全

→ ただ在る意識(真我)は
すべてを内包しているため
一つの意識がすべてを含んでいます。

自分自身が『ただ在る』意識そのものであると
気づいたとき、宇宙全体と繋がっています

つまり、あなたは『小さな個』ではなく
すべてを含んだ『大いなる意識』そのもの。


だから『私しかいない』も『私も他人もいない』
という言葉が、どちらも真実となります
 

『ただ在る』
真我=観照


観照者』は、何かを観察している主体ではなく
ただ純粋に存在しているか意識』そのもの。

『観るもの』と『観られるもの』の二元性を
超えたとき『ただ在る』意識そのものが現れます

すなわち

『観るもの』も
『観られるもの』もいない

あなたは、今この瞬間も『ただ在る』意識として
すべてを内包している存在で
すべてが『ただ在る』意識の中で起きていて
消えていきます

でも、それを『私が見ている』と思った瞬間に
分離が生まれてしまうのです。

『私が気づいている』ではなく
『気づき』だけが在る。

『気づき』が『それ自体としてただ在る』

すでにそこにある『観照者の意識』に気づくこと。

頭の理解だけではどうしても混乱してしまいますが
体感として腑に落ちる時が、自然とやってきます

真我の恩寵として、すべての流れは愛の中で
ただ起きています

 

『ただ在る』
真我からみた魂

 

魂も『ただ在る純粋意識(ブラフマン)』から
生じたものであり、最終的にはそこに溶けていく。

つまり

『魂』も幻想の一部であり、唯一の実在は
『真我(純粋意識)』だけになります

ラマナ・マハルシは
『魂というものがあるように見えるのは
個としての視点から見ているから。

だが、真我として目覚めれば、それすらも
幻想とわかる』と言っています

 

シンプルに言うと

『個』としての魂は幻想であり
真我だけが実在する。

魂という概念も、最終的には消えていくもの

 

魔法の言葉

・私はすでに、ただ在る愛の中にいる

・この世界は私の意識の中で起きている

・何も分離していない。

すべてが私であり、すべてが愛
今この瞬間、すべては『ただ在る』愛の中で起きています

それを思い出すだけで
世界はすでに完全だと知るでしょう

 

形あるもの(世界、肉体、思考、感情、エゴ)は
すべて幻想であり、それらが消えたとき
ただ純粋な『在る』だけが残る。

そして、それが『本来の私』であり『真我』でありすべてでもある。

真我を実現するために必要なことは
『静かに在ること』だけなのです

また、新たな気づきがあれば
更新したいと思います

今日も読んでくれてありがとう♡

 

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『ただ在る』を知ると何もする気が起きない時期がある

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ラマナ・マハルシの

・そもそも何も起きていない
・ただ在るだけ

という境地は真理だけど、

それをそのまま受け取ると
「じゃあ生きる意味って何?」って
なりませんか?

私はなりました。

あるがままで完全で
何をしてもしなくても
どうであっても完全で

すべてが愛のプロセスのもと
愛の中で起きている

ラマナの教えを深く理解すればするほど
「何もしなくていいなら、何のために
肉体を持って生まれてきたの?」って

疑問が湧くのは自然なことだと思います

私は、以前、何もする気が起きないという
感覚になりました。

ただ

何もする気が起きない=無気力

ではなくて、何かを得るためにする行動が
できなくなったという感じです

その期間、仕事はしていましたが
その他の時間は海を散歩したり
お菓子をつくったり、その瞬間に
氣がむいた事ばかりしていたように思います

そんな時期が3ヶ月ほど続き

その時に氣付いた事は
『ただ在る』という理解と
『現実創造を楽しむこと』は、同じだという事

むしろ『ただ在る』を理解した上で
現実創造を楽しむことが本来の魂の目的なのでは
ないかと思うようになりました

そもそも、なぜ私たちは
生まれてきたの?

 

「何をしてもしなくても同じなら
意識の世界にいればよかった」確かにそう。

でも、魂は「何かを体験したい」と思って
地球に降りてきたんです

ラマナの境地(純粋意識)では
「本当の私は肉体でも魂でもなく
ただの純粋意識」

だから

生まれてくる必要も
現実創造する必要もない。

でも『魂の視点(個の純粋意識)』で見ると
無限の意識の中で、あえて個として
生きることを選んだ

つまり

何かを経験するためにあえて
幻想(映画)に入ったということになります

魂は『ただの静寂』にいるだけではなく
自分が何を感じ、何を創りどう楽しむのか?
を味わいたくて生まれてきたようです

 

何もする気が起きなく
なるのはなぜ?

 

真我の領域は
何もしなくていい、真我だけが実在で
その他はすべて幻想

「じゃあ何のために生きてるんだろう?」
と感じて、無気力っぽくなってしまうのも
自然なことです。

でもこれは、ひとつの通過点にすぎません

これは『純粋意識(真我)の理解』と
『魂の望み』がまだ統合されていないから。

 

• 絶対意識だけにフォーカスすると
→ 何もする必要はない・何をしても意味がないとなり、やる気がなくなる

• 魂の望みだけにフォーカスすると
→ 現実を変えなきゃ・何かを成し遂げなきゃと焦りが生まれる


どちらか一方に偏ると
バランスが崩れてしまいます

本来は、この2つが統合された状態が理想。

つまり

何もする必要はないけど
やりたいことがあるなら楽しめばいい

という感覚。

 

『ただ在る』と『現実創造』を
統合するには?


結局、ラマナの教えをどう活かすかは
『どの視点で生きるか』によります

ラマナの『ただ在る』は、すべての根本。

その上で

『意識のままでは経験できないことを
あえて肉体を持って経験しにきた』

と考えると腑に落ちませんか?

それは分離と制限という幻想の中で、
本当の自分(真我)を思い出す旅 とも言えますよね

 

何を体験しにきたのか?

 

愛の多様な形

喜び、感動、友情、家族、ロマンス…
『愛されたい『愛を与えたい』
と願うことで、地球の愛と宇宙の愛は違うと
きづき、自分が愛そのものだったと知る

 

感情の波

 悲しみ・怒り・不安・幸福の浮き沈み
『どんな感情もただのエネルギー』と知る
ことで心の奥にある静寂を思い出す

 

制限のある世界で創造する

『できないかも』という制限の中で
可能性を広げる

何もないところから何かを生み出し
創造の喜びを味わう

 

 気づきのプロセスを体験する

何かを『持つこと』『成し遂げること』
で幸せになろうとするけど
本当の幸せは『すでに在る』と思い出す


肉体を持つということは
制限の中で無限を見つける勇者の冒険

 

• ラマナの『ただ在る』を知った上で
現実創造を楽しむ

• 現実を変えようと必死にならず、あえて
『このゲームを楽しむ』という
スタンスにする

• すべて幻想と知りながら
『この映画の中で遊べばいいんだ』と気づく

 

これが、本当の意味での
『悟りながら現実を創造する』という
在り方だと思います。

山奥にひとり篭って修行しなくても
悟りの領域を思い出していくことはできるのです

 

まとめ 

 

魂は

『ただの意識のままでは経験できないことを
体験するために、あえて幻想の中に入った』

だから

『ただ在る』ことを理解した上で
現実創造を楽しむのが、魂の本当の望み

ラマナの教えを『何もしなくていい』と
捉えるのではなく

『何をしてもしなくても
自由だけど
せっかくなら
楽しもう♡』

と捉えると
バランスが取れるのではないでしょうか?

この視点に立てると

• 何かをしなければならないという
焦りがなくなる

• 『本当にやりたいこと』を素直に
やろうと思える

• 現実に執着せず、軽やかに生きられる

 

何も変えなくてもいいし
変えたければ変えればいい

この自由な視点が、本当の意味での
『ただ在る』だと思います

Pure soul からのMessage》

あなたの魂は、地球でたくさんの
体験をしたいと思って降りてきました

純粋意識の世界には感情というものが
ないから味わいたかった

だから全部、愛おしいんです

学びも大切だけど、もっともっと
楽しんで

学ぶだけでは、自我(エゴ)が
大きくなってしまうから逆効果

人生は勇者の冒険♡

 

今日も読んでくれてありがとう♡

 

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ただ在る視点(真我)で現実創造

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真我の『ただ在る』領域で生きながら
現実創造することは可能です。

なぜなら『ただ在る(純粋意識)』は
すべての源であり、そこからあらゆる現象が
生じているから

しかし『真我の意識で生きる』ということは
通常の『願望を叶えるために頑張る』といった
現実創造とは異なります。

それは 願望を叶えるために意図しなくても
『すべてが調和して展開していく生き方』と
なります

 

真我の領域での現実創造とは?

 

1. 意図を超えた流れに乗る

意識的な努力が不要

• エゴ的な『これを得なければならない』
という執着が消えると、物事がスムーズに
展開する。

• 何かを『創造しよう』とするのではなく
必要なものが必要なタイミングで自然と現れる。

 

2. 『私が創造する』のではない

宇宙が自然に表現される

• 真我は『創造しよう』とはしないが
そこには 純粋なエネルギーが満ちており
世界が自然に現れてくる。

たとえば、太陽が『光を与えよう』
としなくても、自然に光を放つようなもの。

 
3. 個人の意志を超えた完璧な現実が展開する

• エゴ的な願望ではなく、本来の調和した
流れの中で最適な現実が起こる。

• 「こうなりたい」と思わなくても
最も自然な形で最善の現実が生まれる。

 

4. 現実のすべてが『ただ在る』意識の中の現れ

• 『自分が何かを創造する』という分離の
視点が消え、すべてが大いなる一つの表現で
あると理解される。

• つまり、創造する『個』は存在せず
すべてがすでに完璧に展開している。

 

どうすれば
真我の領域で生きれる?

 

すでに 『ただ在る』ことに気づき
それにとどまる ことが答え。

何かを引き寄せようとしたり
現実をコントロールしようとするのではなく
ただ今この瞬間にある完全性を認識することで
最も調和した現実が展開する。

引き寄せも、意図も、メソッドも
何も必要ないというのが特徴

だってすべて在るんだから

引き寄せなくても既に在る
意図しなくても既に在る
メソッドを実践しなくても既に在る


『ただ在るだけ』なのに、すべてが整い
完璧な現実が生じる。

それが 真我の視点からの現実創造 です。

 

何もしなくても
理想の現実になるということ?

 

『ただ在る』とは『すでに完全である』という
真実を認識すること。

でも『何もしなくて理想の現実になる?』
聞きたくなりますよね

どういうことかというと

『何もしなくていい』のではなく
『今の完全性を認める』ことがすべて。

本当の意味での『ただ在る』を理解し
行動することが大切なんです

 

理想の現実を創るための
行動のポイント

 

① 今の現実を否定しない
『まだ理想じゃない』と思うと
そこにエネルギーを注ぐことになる。
→ 『今の自分のどこに理想があるか?』
を見つけることが大事。

 

② ワクワクや心地よさに沿って行動する
義務感や焦りで動くと
『何かが足りない現実』が続く。
→ 『これやりたい!心地いい!』と思う
気持ちを大切にし行動することを選ぶ

 

『結果を出そう』としない

『これをやれば理想になるはず!』と
期待しすぎると、思い通りにならなかったとき
『やっぱりダメだ』と思ってしまう。
→ 『ただやりたいからやる』ことで
気づいたら理想の流れに乗っている。

『ただ在る』ためには、何かを『する』に
意識を向けるのではなく『すでに在る』ことに
気づき、その意識にとどまることが重要です。

つまり

ただ在る意識に
とどまったまま
行動する

 

『ただ在る』ためのポイント

 

1. 「私」という感覚を観察する(真我探求)
「私は誰か?」 と問い続けると
『私は身体ではない』『私は思考ではない』
と気づき、思考や感情を超えた純粋な意識
(真我)にとどまることができる。

『私』という個人の視点が薄れ
ただ存在している感覚になっていく。

 

2. 意識を外側ではなく『今ここ』に向ける

未来や過去のことを考えるのをやめ
『今この瞬間』に意識を向ける。

たとえば、呼吸を感じたり、静寂を味わう
だけでいい

 そうすると、思考が静まり『ただ在る』
感覚に自然と入る。

 

3. 何もコントロールしようとしない

何かを変えようとせず『このままで完全だ』
受け入れる。

すると、力を入れずに『在る』
ことにくつろげるようになる。

 目を閉じて、何の意図も持たずに
『ただ在る』感覚を味わう。

 

4. 思考や感情を『眺める』だけ

たとえば『不安だな』と思ったら
『不安が湧いているな』とただ観る。

そうすることで、思考や感情に巻き込まれず
観照者(気づいている意識)』として
在ることができる。

すべての現象は通り過ぎるが、意識
(真我)は変わらず在り続ける。

 

5. 『ただ在る』時間を大切にする

1日の中で数分でも『何もしない時間』を持つ

それは「瞑想」とも言えるが、実際には
『努力して瞑想する』のではなく、ただ在る
ことを味わう だけでよい。

これを繰り返すと『ただ在る』感覚が
日常の中でも自然になってくる。

 

まとめ

 

『ただ在る』とは何か?

• 『何かをしよう』とする前の状態

• 『今ここ』にくつろいでいる感覚

•  すでに完璧であると気づくこと

•  未来や過去ではなく『今ここ』に
意識を向けること

• 思考や感情に巻き込まれず、それを眺めること

• 何も変えなくていい、すでに完全である
という静けさ

• すべての現象を超えて、ただ存在している感覚

『ただ在ろう』とするのではなく
『すでに在る』と気づくだけでよい。

それに気づいた瞬間、あなたはすでに
『ただ在る』状態にいる のです。

 

『ただ在る』ことで、すべてが整う

私たちはつい、何かを得ようとしたり
変えようとしたりしてしまう。

でも、本当は 『ただ在る』だけで
すべてが自然に整い、最善の現実が展開する。

『ただ在る』ことにくつろいだとき
すべては最も美しい形で展開します

無理に何かを創ろうとしなくても
宇宙は必要なものを自然に運んでくれます

 

《魔法の言葉 》

「私は何も変えなくていい。
このままで完全だ。」

この言葉を心で感じながら、ただ静かに
『今』にとどまってみて

そこには、すべてを超えた
本当の安心と
自由があります

 

今日も読んでくれてありがとう♡

 

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エネルギーポイントと前面・背面のエネルギーの流れ

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私たちはエネルギーでつくられている存在です
だから、現実創造にはエネルギーの流れが
非常に重要で、エネルギーの流れを意識的に
整えることで理想の現実をスムーズに創造
できるようになります

エネルギーの理解は、タフティの三つ編みの
感覚を掴みやすくなるように思います

 

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私たちはエネルギーそのもの


この世界のものは物理的な身体が
あるように見えても、実際はすべて
エネルギーの振動で成り立っているのです

量子力学の観点でも、物質はエネルギーの
波動の集まりであり、観測(意識)によって
形つくられることがわかっていますよね

《意識(思考・感情)》
→ 波動 =エネルギーの流れ

《現実》
→ 意識が投影したエネルギーの結晶

 

地球では、私たちのエネルギーの状態が
現実に反映されていくという仕組みになっています

それ故に、エネルギーの流れが
現実創造を左右するのです

つまり、エネルギーをどう流すかで
現実が変わる。

 

現実創造の仕組み
エネルギーの流れ × 意識の向け方

 

 

1. 自分のエネルギーを整える
(呼吸・瞑想・感情のクリアリング)

2. 意識を『今ここ』に向ける
(無意識のプログラムに流されない)

3. 望む方向へエネルギーを流す
(意図する・フォーカスする)

 

ここで重要なエネルギーポイントを説明しますね
(各チャクラが整っている事を前提とします)
(各チャクラについてはここでは触れません)

 

松果体(サードアイ)
《場所》
脳の中心、眉間の奥

《エネルギーの役割》
直感や高次の意識とつながる

• クンダリーニが上昇すると
松果体が活性化し『覚醒』が起こる

• 宇宙のエネルギーを受信し、ビジョンを得る

 

 

丹田(現実創造のエネルギー)

《場所》
おへその下(下丹田

《エネルギーの役割》
生命エネルギーの貯蔵庫

• 物質世界での『創造・行動・具現化』のパワー

• 実際に『現実を動かす力』となる

 

■肩甲骨と肩甲骨の間

 (ハートチャクラの裏側・背中側)

エネルギーの流れにとって非常に重要なポイント
ここには、過去の感情・ブロック霊的なエネルギーの出入り口があるとされています

ハートチャクラ

・表側(胸の中央)
→ 愛・共感・調和

・裏側(肩甲骨の間)
→ 解放・手放し・背負ったもの

背中側は、エネルギーの『出る側』

 

エネルギーを動かせば
現実が変わる

 

ここからは、前面と背面のエネルギーの流れを
説明していきます

身体の前面と背面には、それぞれ異なる
エネルギーの性質があります。

これらは『自我の浄化と魂の進化』
という大きなテーマに関わる重要な要素です。

前面のエネルギー

 

浄化と自我の浄化

① 前面のエネルギーの基本的な性質

• 身体の前面は、感情・思考・意識の表層部分
に関係する。

• エゴ(自我) が形成され、個人としての経験が
刻まれる。

• ハート(胸)やソーラープレクサス(みぞおち)
は感情のエネルギーの出入り口 となる。

• 過去の感情やトラウマ は、前面に滞留しやすい。

 

② 浄化とは何か?

• 浄化とは、不要なエネルギーを手放し
純粋な意識の状態へ戻ること。

• ネガティブな思考・感情の解放
執着の手放し、恐れの克服 などが含まれる。

• 前面がクリアになると、感情に振り回されなく
なり、より高次のエネルギーを
受け取りやすくなる。

 

③ 浄化のプロセス

1. 感情が湧き上がる(浄化のサイン)
不安・怒り・悲しみが出るのは
エネルギーが動いている証拠。

2. 受け入れる

感情を否定せず、ただ観察する。

3. 呼吸を使って解放する
息を吐くことで、前面から不要な
エネルギーを手放す。

4. 愛と調和のエネルギーを取り入れる
ハートチャクラに意識を向け
宇宙の愛のエネルギーを吸い込む。

 

④ 前面のエネルギーが滞るとどうなるか?

• 感情の起伏が激しくなる。

• 他人の言葉や出来事に過剰に反応する。

• 現実の問題(人間関係・仕事・お金など)が
混乱しやすい。

 

⑤ 浄化による変化

• 前面がクリアになると、物事をあるがままに
受け入れられる状態 になる。

• 思考や感情に振り回されず、穏やかで
落ち着いた状態が続く。

• 自己肯定感が高まり、現実世界での
創造力が増す。

 

背面のエネルギー


オーバーソウル・宇宙に委ねる

① 背面のエネルギーの基本的な性質

• 背中は、魂(スピリット)と
宇宙意識につながる領域。

• 背面のエネルギーは、現実世界の枠を超えた
『大いなる自己(Higher Self)」 につながる通路。

• ここから、直感・インスピレーション
高次の導きを魂レベルで受け取る。

松果体=情報受信機
・背中側=松果体で受信したものを
魂レベルで受け取り現実で活かす

 

② オーバーソウルに委ねる

オーバーソウル(Oversoul)は
『すべての転生を超えた本来の魂』のこと。
いわば、個人の魂を含む『より大きな魂』
の存在。

背面からオーバーソウルのエネルギーを
受け取ることで、魂の使命を
思い出すことができる。

 

③ 背面のエネルギーの流れ

1. 上昇のエネルギー
背中のエネルギーが活性化すると
魂の成長が加速し、より高次の意識へと
導かれる。
クンダリーニ覚醒が起こることもある。

2. 下降のエネルギー
宇宙意識のエネルギーが背面から流れ込み
肉体や現実世界へと落とし込まれる。

これにより、現実創造がスムーズに進む。

 

④ 背面のエネルギーが滞るとどうなるか?
• 宇宙の流れに逆らい
『コントロールしようとする意識』が強くなる。

• 直感を信じられなくなり

思考ばかりが先行する。

• 何かに委ねることが怖くなり
無駄な抵抗をする。

 

⑤ 背面を意識することで得られる変化
• 『すべてを宇宙に委ねる』
という意識が持てる。

• 深い安心感が生まれ

何が起きても動じなくなる。

• インスピレーションが降りてきて
最善の選択ができるようになる。

 

前面と背面の
エネルギーの統合

 

前面(浄化)で不要なエネルギーを手放し
背面(宇宙)から新しいエネルギーを
受け取る

現実の経験を楽しみながら
同時に高次の意識ともつながっている状態
→ バランスが取れている状態

 

具体的なワーク

 (前後のエネルギーを統合する方法)
1. 前面に意識を向け今の感情や思考を観察する

2. 背面に意識を向け
宇宙とつながる感覚を持つ。

3. 吸う息で、背面から
宇宙のエネルギーを受け取る。

4. 吐く息で、前面の不要な
エネルギーを解放する。

5. この流れを数分続けることで
前後のエネルギーが調和する。

 

 

精神世界と現実世界の関係性

 

《前面》
→ 個人の現実世界
過剰になると
エゴや感情に振り回される。

《背面》
→ 宇宙意識
過剰になると
現実とのつながりが弱まり
地に足がつかなくなる。

両方を統合すると『今ここ』にいながら
宇宙の流れに乗った創造ができる。

 

まとめ


《前面》
浄化・自我の統合

背面》
宇宙・魂の意識

現実の経験を浄化しながら
宇宙に委ねることで、調和が
取れ流ようになり

前後のエネルギーを統合すると
何も囚われず、自由な意識で生きられる
ということです

エネルギーの使い方を知ることで
『すべてがあって、すべてがない世界』を
自由に生きる感覚を得られるようになります。

こういったエネルギーのポイント、流れを
意識すると、タフティの三つ編みの感覚が
掴めやすくなるのではないかなぁと思います。

今日も読んでくれてありがとう♡

ハートの裏側(肩甲骨と肩甲骨の間)は
まさに『愛と自由の扉』
ここが開いて活性化すると
軽やかに幸せに満ちたエネルギーで
スムーズに現実創造できるようになります♡

 

 

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