
「愛する」と聞くと、あなたはどんなイメージを抱きますか?「好き」=「愛」 と思いがちですが、真の愛とは好き嫌いの感情を超えたものです
《好き 》
→ 自分の価値観に合っている、心地よいと感じるもの
《嫌い 》
→ 自分の価値観に合わない、受け入れがたいと感じるもの
でも、本当の愛は『好きだから愛する』『嫌いだから愛さない』という条件付きではありません。相手がどうであれ『その人の存在をそのまま認める』『その人のあるがままを認める』ことが愛。つまり『好き』とか『嫌い』とかいう次元を超えた『無条件の愛』がただそこにある。無条件に相手を認めた時、その人のことが大嫌いであっても、本質の部分では愛してるということになります。
・相手の短所を見ても「これがこの人の個性なんだ」と認める
・相手が無神経な態度をとっても「これがこの人の在り方なんだ」と認める
「好きになる」必要もない。ただ、「この人はこういう人だ」とありのままを受け入れることが、真の愛の第一歩になります
酷いことをされて憎いのに赦すってどういうこと?そんなの無理に決まってる。多くの方がそう思いますよね。『赦す』と聞くと『相手の行動を肯定すること』 だと思いがちだけど、それは違います
本当の意味での赦しとは『自分の心を解放すること』
・その人を思い出すたびに怒りや悲しみが湧く
・心の中で何度もその出来事を再生し、苦しみが続く
・自分の心が軽くなり、解放される
・過去の出来事が「ただの経験」になる
つまり『赦す』とは、相手のためではなく、自分自身のためにすること。
相手を憎み続けると、その感情に囚われ、自分が苦しくなる。でも、赦すことで、その重荷を手放し、自分を自由にすることができるのです
②「この経験がなかったら、私はどうなっていただろう?」と視点を変える
③「もうこの苦しみを持ち続けるのはやめよう」と決める
④ 「この人もこの人なりの孤独や寂しさ苛立ちを抱えているのかもしれない」と慈悲の心をもってみる
⑤ すべての存在が宇宙から無条件に愛されていることに気づく
『赦す=仲良くすること』ではなく、もう関わらなくてもいいし、距離を置いてもいい。ただ、心の中で手放すことで、自分を楽にする のが『赦す』ということです
私たちは《心(思考・感情)》《この2つのレイヤーで生きています
映画の主人公が苦しんでいても、それを観ている観客(魂)は傷つかない のと同じ。魂の視点では、どんな出来事も「経験」であり、「本質的な自分」は何も損なわれることはありません
だから「私は深く傷ついた」と思うときこそ、魂の視点に立つことが大切。「この経験を通して、私は何を学んでいるのか?」と考えることで、魂の強さを思い出すことができる。
・ 愛とは
好き嫌いではなく、相手をあるがまま認めること
・ 赦すとは
相手のためではなく、自分の心を解放すること
・ 心は傷ついても、魂(本質)は傷つかない
苦しみが生まれるのは、心のレベルで物事を見ているとき。でも、魂の視点に立つと、すべては経験であり、本当の自分は何も失わない。だからこそ、今感じている痛みや葛藤を『ただの経験』として受け止め、少しずつ手放していくことが、自分を自由にする鍵になります
自分をあるがまま認める=自分を愛する
相手をあるがまま認める=相手を愛する
自分を愛する=相手を愛する