『いい気分でいましょう』と
『観察者の意識、意図を持つ』は矛盾する?
最近、タフティの教えが流行し
エイブラハムの『いい気分でいること』に対して
【それだけでは現実は変わらない】という
意見をよく見かけます。
タフティ派の主張としては、ただ『いい気分』
でいるだけでは受動的になり
現実は変わらない。
だからこそ、意図を持ち、意識的に
現実を選ぶことが必要だ、というものです。
そしてエネルギーの流れを活用すること。
これが、意図の三つ編みに繋がってきます。
(エネルギーについては別記事で書きます)
一方でエイブラハムは
『気分(波動)が現実を創る』
と説き、いい気分でいることが創造の鍵
だとしています。
タフティは今、日本で話題になってますが
ロシアでは、2018年に出版されたもので
もう7年も前になります。
別に真新しいものではないんですよね。
そう思うと、日本はやっぱり
いろんな意味ですべてが遅いですね
エイブラハム派とかタフティ派とか
その分離の意識が真実から離れてることに
気づくことが大切ですね。
では、この二つの教えは
矛盾するのでしょうか?
結論から言うと、エイブラハムもタフティも
本質的には同じことを言っています。
ただ『どこにフォーカスを置くか』が
違うだけです。
タフティもエイブラハムも根本的には
『今ここ(今この瞬間)に在ること』
『現実にフォーカスしない』
『他人を変えようとしても無駄』
『コントロールしない』
『過去も未来も幻想だ』
『執着しない』
『プロセスは気にしない』
という事を伝えてくれています。
ただ、それぞれの視点やアプローチが違う
だけのこと。
そして、この違いを超えて本当の現実創造を
理解するには、ラマナ・マハルシの
『ただ在る』の意識
が鍵になります。
(ラマナについて、このブログではまだ
あまり触れていませんが、私の基盤にあるのは
ラマナ・マハルシの『ただ在る』純粋意識です。
また、記事にしますね)
視点の違いやアプローチの違いは
今自分がどの意識の段階にあるのか?
で変わってくるのではないかと
思います。
では、それぞれの教えを
まとめてみました。
『いい気分でいること』が
すべてを引き寄せる
エイブラハムの教えでは
『波動の法則』が基本です。
宇宙のエネルギーを主におき
そのエネルギーと調和することを大事にします
現実を引き寄せる
• 『いい気分』でいると、望む現実と
波動が一致し、自然とそれが引き寄せられる
• 努力して外側を変えなくても
内側が整えば現実が変わる
つまり、まずは『いい気分』でいることで
波動を整えれば、現実もスムーズに変わる
という考え方です。
ただし、これを表面的に捉えて
とにかく『ポジティブでいなければいけない』と
思ってしまうと
『ネガティブになってはいけない』という
抵抗が生まれ、現実創造がうまくいかなくなる
こともあります。
いい気分でない時も
『そんな時もあるよね。』
というふうにとにかく自分を責めないことが
大切です。
意図を持ち、観察者として
生きることが重要
タフティの教え(トランサーフィン)では
次のような考え方をします。
タフティは、とても現実的です。
だからこそ、意図の三つ編みという
エネルギーの使い方も大切になります。
(エネルギーについては別記事で)
でありそれに囚われず『観察者』として
立つことが重要
• 『意図』を明確にすることで
エネルギーを集中し、望む現実を選び取る
ことができる
• 単に『いい気分』でいるだけでは
無意識のプログラムに流されるだけで
現実は変わらない
つまり、意識的に現実を選ぶことが大切だと
説いています。
『いい気分でいる』だけでは
スクリーン(外側の世界)に囚われたまま
なので、能動的に意図を持つことが
必要だとするのがタフティの主張です。
矛盾しない
では『いい気分でいること』と
『意図を持つこと』は対立するのでしょうか?
答えはしません。
どちらも現実創造の一部であり
統合することでよりスムーズな創造が
できるのです。
• いい気分でいる(エイブラハム)
→ 波動が整い、受け取る準備ができる
• 意図を持つ(タフティ)
→ エネルギーを明確に向け
望む現実を選択できる
『いい気分』でいるだけでは
自動的な流れに任せすぎてしまうことがある
一方で『意図をしよう』と力みすぎると
逆にエゴのコントロールになり
創造がうまくいかなくなる。
重い抵抗の波動になるから。
だからこそ『いい気分でいること』と
『意図を持つこと』の両方をバランスよく
活用することが重要になります。
『ただ在る』純粋意識が
全ての源
ここで、ラマナ・マハルシの
『ただ在る』の教えを考えてみましょう。
『ただ在る』とは
純粋な意識の状態
• 何も足す必要がなく、何も欠けていない
完全な存在そのもの
• 外側の現実に左右されず
幸せそのものである
この意識が抜けていると
『いい気分でいよう』としても、それが
『今の不足を埋めるため』になり、逆に
焦りや執着が生まれます。
また『意図を持とう』としても、それが
『何かを手に入れなければ幸せになれない』
という意識から出ていると、無理な力みに
なってしまいます。
でも、『ただ在る』の意識を理解すると
• だから、現実創造も
『不足を埋める手段』ではなく
ただの遊びになる
• そうすると、執着がなくなり
結果的にスムーズに現実が動く
つまり『ただ在る』こそが現実創造の土台
であり、その上で『いい気分でいること』や
『意図を持つこと』が活きてくるのです。
いい気分+意図を活用する
すべてを統合すると、次のような流れになります。
(すでに完全で
何も不足していない意識)
2. 『いい気分』でいる
(波動を整え、望む現実を受け取る
準備をする)
3. 『意図を持つ』
(エネルギーを明確に向け
現実を選択する)
4. 結果をコントロールしようとせず
流れに乗る
(抵抗を手放し、宇宙の調和に委ねる)
こうすれば、エゴの焦りや執着なしに
スムーズに望む現実が創造されていきます。
エゴや執着が極力ない状態というのが
すごく大切なんです
タフティの三つ編みも
エゴにまみれた意識では
効果は薄いでしょう
エイブラハム、タフティ、ラマナ・マハルシ
それぞれの教えは視点が違うだけで
本質的には同じ方向を向いています。
『ただ在る』を理解し、いい気分でいながら
意図を持って現実を選び
執着せずに流れに乗る。
このバランスを取ることで
『何があっても幸せ』
な状態で最高の現実を創造して
いくことができるのです。
次回の記事では、
エイブラハム、タフティ、ラマナ・マハルシを
視点の違いから書いてみようと思います。
今日も読んでくれてありがとう♡