pure soul true love 純粋意識⭐︎ 優しい愛の世界で今を幸せに生きる

真我の視点から、人生をより自由に、より愛に満ちたものへと変えていくためのヒントをお伝えしています

すべての教えは本当の私に続く道


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『私とは何か?』

この問いの答えを探し続けると
いくつもの教えや哲学にたどり着きます。

タフティの『観察者』
エイブラハムの『ソースエネルギー』
ラマナ・マハルシの『真我』は

すべて『本当の私』について語っています。

でも、それぞれの視点やアプローチには
違いがあります。

それは『意識の深まり』によるもの。

どの教えが正しい、間違っているという話
ではなく、それぞれのステージに応じた
表現になっています。

ラマナの真我まで辿り着くまでに
いわゆるスピリチュアルというものを
いろんな視点から学ぶ方が多いのでは
ないかと思います。

この流れを知ることで『現実創造』から
『すべてはすでに在る』へと、意識の進化を
スムーズに理解できるようになります。

 

1. タフティ《観察者》として
現実を創造する

 

・ 3次元の現実に目覚める
・自分のキャラクターに気づく

まず最初のステップが
タフティの観察者の意識です。
そしてエネルギーの使い方がとても
大事になります。

前方に流れるエネルギー
背中に流れるエネルギー
丹田松果体

ここを活用していく流れが
意図の三つ編みに繋がってきます。

(エネルギーの話はまた別記事で書きます)

puresoultruelove.com

今回は、観察者の視点を書きますね)

観察者とは?

タフティが言う観察者とは、
もう一人の自分のこと。

これは 『魂の視点』に近いものです。

私たちは普段、 体と思考の中に意識を置いて
生きています。

でも観察者とは、それを外側から見ている
存在のこと。

たとえば…

・思考がグルグル回っているのを
気づいている私

・感情が揺れ動いているのを
俯瞰して見ている私

 『気づいている存在』=『観察者』
となります

 

観察者の役割
タフティの教えでは『観察者の視点に立つ』
ことがまず大事で、それが目覚めだと
言っていますよね

・ 自分が何にフォーカスしているかに
気づく

・ 自分の意識をコントロールできる
ようになる

・ 現実を意図的に創造できるようになる


つまり『私は観察者だ』と気づくことで
ただの反応する存在ではなく、現実を創る側に
回ることができるのです。

 

ただし、 タフティの観察者は
まだ、個の意識(魂)の視点・視座 です

・ 自分が何にフォーカスしているかに
気づく

・ 自分の意識をコントロール
できるようになる

・ 現実を意図的に創造できるようになる


この段階では 『気づく』『選ぶ』『現実を創る』というプロセスが必要になります。

 

2. エイブラハム
《ソース
エネルギー
すべての源(宇宙) 》

 

次にエイブラハムの
ソースエネルギーです

ソースエネルギー=宇宙エネルギー
なので、真我と同じなのですが
ラマナの真我『ただ在る視点』とは
異なります。

 

ソースエネルギーとは?

エイブラハムの言うソースエネルギーは
タフティの観察者よりもさらに高い視点から
捉えたもの

ソースは、 宇宙エネルギーそのもの。
神や源といえるもの です。
(ラマナの真我宇宙とは視点が違う)

エイブラハムの教えでは

・ 私たちはソースと常につながっている

・いい気分でいると、ソースと調和する

・波動を整えることで、望む現実を
引き寄せる


という考え方が基本になっています。

 

ソースとの関係

『本当の私』と『ソース』は、本来 同じもの。
でも、私たちは 意識を落とす ことで
ソースから離れたように感じます

この時の私は、自我(エゴ)の私
つまりソースと分離した状態になります

・気分がいいとき → ソースと調和している
・気分が悪いとき → ソースからずれている

だからこそ『いい気分でいる』ことが大切だと
説かれていますよね

 

ただし、 エイブラハムのソースには
『私』と『ソース』の分離感が
残っているのが特徴です。

・ 私はソースとつながる

・ 波動を調整すれば、最高の現実を
生きられる

 

この段階ではソースとつながることが
重要とされています。

 

 

3. ラマナ・マハルシ
《真我》
すべてはすでにあ『ただ在る』

 

最終的な理解が ラマナ・マハルシの
『真我』 純粋意識です。

 

真我とは?

エイブラハムのソースエネルギーも
真我宇宙のエネルギーのことですが
ラマナの『真我』は、 エイブラハムの
ソースエネルギーの視点・視座よりも
さらに深いものとなります

『真我』とは、 宇宙エネルギーそのもの。
神や源と同じです。

これはエイブラハムのソースエネルギーも同じ)

ラマナは言います。

私はそもそも真我であり
どこかとつながる必要すらない

 

真我の視点
・ いい気分も悪い気分も関係ない

・ 何かを創造する必要もない

・ すべてはすでに在り、最初から完全


『私はただ在る』

この理解がすべてです。


・ 気分がいいとき → それも私

・ 気分が悪いとき → それすらも私


どんな状態でも『私はただ在る』と
いうことに変わりはありません


だから

『ソースとつながる』

『波動を調整する』といった考え方すら
必要ない。

『〇〇しようという』概念すらない
領域です

なぜならすべてが『既に在るから』

 

•  ソースとつながる必要もない

•  いい気分でいる必要もない

•  現実を変える必要もない

 

そもそも、私はそれでしかない

ラマナの『真我』は、分離しない

どうであっても私の状態に関係なく
ずっと繋がっていて
ずっと愛の中というのがラマナの真我の視点

エイブラハムのソースは
『私とソースがつながる』という前提がある。

でも、ラマナの真我は
『そもそも分離などない』ということに気づく

すべてをただ在るがままに観照している意識

観照

になります。

 

4. 3つの教えの統合

 

タフティ → エイブラハム → ラマナ

この順番で理解が深まっていくのでは
ないでしょうか?

特に、ラマナの『ただ在る』視点を
肝に落とすのは深い慈悲の心が必要です

 

《タフティの観察者》
→  私(魂)が観察し、意識を向けたものを
創造する

《エイブラハムのソース》
→  私(魂)がソースとつながること
最高の現実を生きられる
《ラマナの真我 》
そもそも、私はすべてであり
観照者である

 

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5. 最終的な気づき

 

タフティやエイブラハムの教えは
『現実創造』に焦点を当てています。

でも、ラマナの視点に至ると
『そもそも創造すら必要ない』と気づく

現実を創造するメソッドも、意図する必要もなく
最初からすべては完全だった。

『ただ在る』に意識
すべては愛の中でおきています

あなたに必要なものは(ご縁も)すべて
完全に用意されているということ

この理解が深まることで『ただ在る』ことの
意味が腑に落ちるのではないでしょうか?

Pure Soul メッセージ》 

あなたはすでに完全であり
すべてを内に持っています


現実を創ることも、何かを求めることも

どこかにつながることも
本当は必要ないのです


あなたは、最初から 『ただ在る』
という
完全な存在。


観察者として目覚め、ソースと調和し

最後には 『何も変える必要がなかった』
と気づく旅。


それこそが

『すべてがあって、すべてがない世界を生きる』

 

💫 魔法の言葉 💫


 私はすでに完全である

私はただ在る

すべては愛の中にある


あなたの魂は どこにも行く必要はなく
ただ本来の輝きを思い出すだけ。

そのままのあなたが、美しく
愛そのものだから。

この世界のゲームを楽しめばいい

読んでくれてありがとう♡

 

puresoultruelove.com

 

 

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