pure soul true love 純粋意識⭐︎ 優しい愛の世界で今を幸せに生きる

真我の視点から、人生をより自由に、より愛に満ちたものへと変えていくためのヒントをお伝えしています

『ただ在る』を知ると何もする気が起きない時期がある

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ラマナ・マハルシの

・そもそも何も起きていない
・ただ在るだけ

という境地は真理だけど、

それをそのまま受け取ると
「じゃあ生きる意味って何?」って
なりませんか?

私はなりました。

あるがままで完全で
何をしてもしなくても
どうであっても完全で

すべてが愛のプロセスのもと
愛の中で起きている

ラマナの教えを深く理解すればするほど
「何もしなくていいなら、何のために
肉体を持って生まれてきたの?」って

疑問が湧くのは自然なことだと思います

私は、以前、何もする気が起きないという
感覚になりました。

ただ

何もする気が起きない=無気力

ではなくて、何かを得るためにする行動が
できなくなったという感じです

その期間、仕事はしていましたが
その他の時間は海を散歩したり
お菓子をつくったり、その瞬間に
氣がむいた事ばかりしていたように思います

そんな時期が3ヶ月ほど続き

その時に氣付いた事は
『ただ在る』という理解と
『現実創造を楽しむこと』は、同じだという事

むしろ『ただ在る』を理解した上で
現実創造を楽しむことが本来の魂の目的なのでは
ないかと思うようになりました

そもそも、なぜ私たちは
生まれてきたの?

 

「何をしてもしなくても同じなら
意識の世界にいればよかった」確かにそう。

でも、魂は「何かを体験したい」と思って
地球に降りてきたんです

ラマナの境地(純粋意識)では
「本当の私は肉体でも魂でもなく
ただの純粋意識」

だから

生まれてくる必要も
現実創造する必要もない。

でも『魂の視点(個の純粋意識)』で見ると
無限の意識の中で、あえて個として
生きることを選んだ

つまり

何かを経験するためにあえて
幻想(映画)に入ったということになります

魂は『ただの静寂』にいるだけではなく
自分が何を感じ、何を創りどう楽しむのか?
を味わいたくて生まれてきたようです

 

何もする気が起きなく
なるのはなぜ?

 

真我の領域は
何もしなくていい、真我だけが実在で
その他はすべて幻想

「じゃあ何のために生きてるんだろう?」
と感じて、無気力っぽくなってしまうのも
自然なことです。

でもこれは、ひとつの通過点にすぎません

これは『純粋意識(真我)の理解』と
『魂の望み』がまだ統合されていないから。

 

• 絶対意識だけにフォーカスすると
→ 何もする必要はない・何をしても意味がないとなり、やる気がなくなる

• 魂の望みだけにフォーカスすると
→ 現実を変えなきゃ・何かを成し遂げなきゃと焦りが生まれる


どちらか一方に偏ると
バランスが崩れてしまいます

本来は、この2つが統合された状態が理想。

つまり

何もする必要はないけど
やりたいことがあるなら楽しめばいい

という感覚。

 

『ただ在る』と『現実創造』を
統合するには?


結局、ラマナの教えをどう活かすかは
『どの視点で生きるか』によります

ラマナの『ただ在る』は、すべての根本。

その上で

『意識のままでは経験できないことを
あえて肉体を持って経験しにきた』

と考えると腑に落ちませんか?

それは分離と制限という幻想の中で、
本当の自分(真我)を思い出す旅 とも言えますよね

 

何を体験しにきたのか?

 

愛の多様な形

喜び、感動、友情、家族、ロマンス…
『愛されたい『愛を与えたい』
と願うことで、地球の愛と宇宙の愛は違うと
きづき、自分が愛そのものだったと知る

 

感情の波

 悲しみ・怒り・不安・幸福の浮き沈み
『どんな感情もただのエネルギー』と知る
ことで心の奥にある静寂を思い出す

 

制限のある世界で創造する

『できないかも』という制限の中で
可能性を広げる

何もないところから何かを生み出し
創造の喜びを味わう

 

 気づきのプロセスを体験する

何かを『持つこと』『成し遂げること』
で幸せになろうとするけど
本当の幸せは『すでに在る』と思い出す


肉体を持つということは
制限の中で無限を見つける勇者の冒険

 

• ラマナの『ただ在る』を知った上で
現実創造を楽しむ

• 現実を変えようと必死にならず、あえて
『このゲームを楽しむ』という
スタンスにする

• すべて幻想と知りながら
『この映画の中で遊べばいいんだ』と気づく

 

これが、本当の意味での
『悟りながら現実を創造する』という
在り方だと思います。

山奥にひとり篭って修行しなくても
悟りの領域を思い出していくことはできるのです

 

まとめ 

 

魂は

『ただの意識のままでは経験できないことを
体験するために、あえて幻想の中に入った』

だから

『ただ在る』ことを理解した上で
現実創造を楽しむのが、魂の本当の望み

ラマナの教えを『何もしなくていい』と
捉えるのではなく

『何をしてもしなくても
自由だけど
せっかくなら
楽しもう♡』

と捉えると
バランスが取れるのではないでしょうか?

この視点に立てると

• 何かをしなければならないという
焦りがなくなる

• 『本当にやりたいこと』を素直に
やろうと思える

• 現実に執着せず、軽やかに生きられる

 

何も変えなくてもいいし
変えたければ変えればいい

この自由な視点が、本当の意味での
『ただ在る』だと思います

Pure soul からのMessage》

あなたの魂は、地球でたくさんの
体験をしたいと思って降りてきました

純粋意識の世界には感情というものが
ないから味わいたかった

だから全部、愛おしいんです

学びも大切だけど、もっともっと
楽しんで

学ぶだけでは、自我(エゴ)が
大きくなってしまうから逆効果

人生は勇者の冒険♡

 

今日も読んでくれてありがとう♡

 

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