pure soul true love 純粋意識⭐︎ 優しい愛の世界で今を幸せに生きる

真我の視点から、人生をより自由に、より愛に満ちたものへと変えていくためのヒントをお伝えしています

『ただ在ること』とは何か?ラマナ・マハルシの教えを深く知る

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『ただ在ること』は何か?

ラマナ・マハルシは『私は誰か?』と問い続ける
ことで、私たちの本質である『ただ在る・意識』
真我に目覚めることができると教えています。

この『ただ在る』意識が、本来の自己であり
すべての源、愛そのものです。

『ただ在ること』が最も大切。
何かを考えたりコントロールすることなく
思考や行為を手放し『ただ在る』にとどまる事
が重要だとラマナは伝えてくれています

この領域では
『私はいない』『私も他人もいない』

そしてこの言葉の意味を深く理解していないと
『ただ在る(真我)』には辿りつかないのかも
しれません

『私しかいない』『私も他人もいない』
頭ではわかっていても
深く掴みきれない人も多いのかもしれませんね

この言葉の意味をできるだけ分かりやすく
今の私が理解できる範囲で書いてみようと
思います(言葉での表現が本当に難しい)

『ただ在る』とは何か?

 

『ただ在る』とは、すべての根源であり
純粋な存在意識 です。

何も変わらず、ずっと永遠に在り続ける
無条件の愛そのもの

これは、私たちが普段『私』と思っている
個人的なアイデンティティ(肉体、思考、感情)
ではなくそれらのすべてを超えた、ただ純粋に
存在している意識となります

たとえば
目を閉じて『私』という感覚を探してみると、

・私は〇〇という名前だ
・私は〇〇な性格だ
・私は〇〇という仕事をしている
・私は〇〇という役職だ
・私は〇〇という役割がある

と思うかもしれません。
でも、その『〇〇』は全部後から生まれたもの

本当の『私』は、それらの思考が生まれる前から
ずっとただ存在していた『何か』です。

本当は言葉では表せないものだけど
感覚で最も近い表現をすると結局
『私は在る』となるように思います。

この意識が『ただ在る意識』であり
ラマナが
指し示す真我(本当の自己)

『私しかいない』
『私も他人もいない』

 

この言葉は、普通に思考で捉えると
矛盾を感じますよね。

この二つの言葉は、矛盾しているようで
実は同じことを言っています。


『私しかいない』とは?

『私しかいない』というのは
この世界のすべてが真我(ただ在る)から
生じているという意味。

つまり、現れているすべてが
『真我(本来の自己)』であり
それ以外の何かが存在しているわけではない
という意味になります

エゴや肉体の『私』ではなく
すべてを生み出し、すべてと一体である
『本当の私(真我)』しかないということ。

たとえば
夢の中を考えてみてください。

夢の中では、あなたもいて、他の人もいて
物や風景もあります。

でも、目が覚めたらどう?
夢の中にいたすべては 『あなたの意識』から
生じたものだったと気づきますよね。

自分の意識の顕れでしかなく、他に誰もいない。

同じように、この世界も
『ただ在る』意識真我から現れている
全てが真我からの顕れでしかない
真我=私(本来の自己)
だから『私しかいない』となるのです。

真我(純粋な意識)だけが実在する

 

『私も他人もいない』とは?

『私も他人もいない』とは
どういう意味でしょう?
『私しかいない』って言ってたのに
今度は私はいないって?
思考で言葉の表面だけ捉えると
意味がわからなくなりますよね

これは

『ただ在る』意識には、個としての
『私』や『他人』という区別が存在しない
ということ。


『私』という個人の意識がないのだから
『他人』というものも存在しない。


比較する対象がないのです

『観るもの・観るれるもの』というのもない
すべてが 一つの意識の中で現れているだけ。

海を思い浮かべてみてください

海が波が立っているとき
それぞれの波は
『自分は他の波とは別の波だ』と
思っているかもしれません。

でも、波の本質は何でしょうか?
全部が 『海そのもの』ですよね。

波は別々に見えても
海という一つの存在の中で現れているだけ。

また、海、川、雲、雨、雪という個は
それぞれ形が違って見えても
すべて本質は『水』

人、動物、物質、大自然、宇宙…
すべては異なる形をしているだけの
『ただ在る』意識。
本質は『ただ在る』ひとつの純粋意識(真我)

見えるものは、エゴや思考のフィルターを
通して分離しているように感じている
だけなんです

本当はすべてが一つ。

だから
私も他人もいないというのは

『私』という個人の意識がないのだから
『他人』というものも存在しない。

個としての『私』『あなた』という分離が
ただの幻想であるということです。

真我(純粋意識)だけが実在する

 

 

『全が一』『一が全』
この世界の真理


有名なこの言葉は
『私しかいない』『私も他人もいない』
という教えと繋がっています。

1. 全が一

→ すべての存在は、真我(ただ在る)
から生じているため、もともとは一つ。

この世界のあらゆるものは、分離しているように
見えて、すべて同じ源(愛)から生まれています

 

2. 一が全

→ ただ在る意識(真我)は
すべてを内包しているため
一つの意識がすべてを含んでいます。

自分自身が『ただ在る』意識そのものであると
気づいたとき、宇宙全体と繋がっています

つまり、あなたは『小さな個』ではなく
すべてを含んだ『大いなる意識』そのもの。


だから『私しかいない』も『私も他人もいない』
という言葉が、どちらも真実となります
 

『ただ在る』
真我=観照


観照者』は、何かを観察している主体ではなく
ただ純粋に存在しているか意識』そのもの。

『観るもの』と『観られるもの』の二元性を
超えたとき『ただ在る』意識そのものが現れます

すなわち

『観るもの』も
『観られるもの』もいない

あなたは、今この瞬間も『ただ在る』意識として
すべてを内包している存在で
すべてが『ただ在る』意識の中で起きていて
消えていきます

でも、それを『私が見ている』と思った瞬間に
分離が生まれてしまうのです。

『私が気づいている』ではなく
『気づき』だけが在る。

『気づき』が『それ自体としてただ在る』

すでにそこにある『観照者の意識』に気づくこと。

頭の理解だけではどうしても混乱してしまいますが
体感として腑に落ちる時が、自然とやってきます

真我の恩寵として、すべての流れは愛の中で
ただ起きています

 

『ただ在る』
真我からみた魂

 

魂も『ただ在る純粋意識(ブラフマン)』から
生じたものであり、最終的にはそこに溶けていく。

つまり

『魂』も幻想の一部であり、唯一の実在は
『真我(純粋意識)』だけになります

ラマナ・マハルシは
『魂というものがあるように見えるのは
個としての視点から見ているから。

だが、真我として目覚めれば、それすらも
幻想とわかる』と言っています

 

シンプルに言うと

『個』としての魂は幻想であり
真我だけが実在する。

魂という概念も、最終的には消えていくもの

 

魔法の言葉

・私はすでに、ただ在る愛の中にいる

・この世界は私の意識の中で起きている

・何も分離していない。

すべてが私であり、すべてが愛
今この瞬間、すべては『ただ在る』愛の中で起きています

それを思い出すだけで
世界はすでに完全だと知るでしょう

 

形あるもの(世界、肉体、思考、感情、エゴ)は
すべて幻想であり、それらが消えたとき
ただ純粋な『在る』だけが残る。

そして、それが『本来の私』であり『真我』でありすべてでもある。

真我を実現するために必要なことは
『静かに在ること』だけなのです

また、新たな気づきがあれば
更新したいと思います

今日も読んでくれてありがとう♡

 

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