pure soul true love 純粋意識⭐︎ 優しい愛の世界で今を幸せに生きる

真我の視点から、人生をより自由に、より愛に満ちたものへと変えていくためのヒントをお伝えしています

真の明け渡しとは?

 

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ラマナ・マハルシは
真我(アートマン)を探求する教えで
有名なインドの偉大な聖者であり

私のこのブログはすべて、ラマナの教えを源として
在る(真我)の愛の視点から書いています

今日のテーマである『真の明け渡し』
についてラマナの言葉を紹介します

 

真の明け渡しとは?



《ラマナの言葉》

完全な明け渡しのためには
自分自身のいかなる欲望も持たないこと
が要求される。

あなたはなんであれ神が与えくれるものに
満足しなければならず
それはつまりあなた自身の欲望を持たない
ということを意味する。

明け渡しは、あなたが
『神のみぞすべてなり』『神の御心のままに
という境地に至ってはじめて完全なものとなる。

神への完全な明け渡しとはすべての想念を放棄し
心を神に集中させることである。

もしそれができれば、他の想念は消え去る
もし心、言葉、身体の行為が神に融け合えば
人生のすべての重荷は神のものとなるのである。

 

ラマナ・マハルシの言葉にある
『明け渡し』という概念は、単に
『何もかもを手放して、すべてを神に任せる』
という表面的なものではありません。

それは

『個としての私(自我)』から
『すべての源である神(真我)』へと
完全に溶け込むことを意味しています。

自分という個の『私』を超えて
神や宇宙、即ち真我である本来の自己に
すべてを委ねること

これは、自己の本質に目覚め
自由になることを意味しています

明け渡しの本当の意味が深く理解されると
『私が何かをしている』というエゴの感覚が
自然に消えていきます

どういうことかというと
私たちはいつも

・私が選んでいる
・私が行動している
・私が望んでいる


と思っています

でも実際は

『あなた』ではなく
すべては神(真我)が起こしています

そこに気づくことが
完全な明け渡しです

 

在る(真我)とは何か

 

『在る』とは、ラマナがよく使った言葉で
私たちの本当の姿、真我(アートマン)を
指します。

愛のそもの

明け渡しは、この『在る』とは何かを
知ることが重要です

 

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『在る』それは、思考や感情
体の感覚を超えた純粋な意識そのもの

そして、この『在る(真我)』は
分離のない完全な存在で
すべてを包み込む愛そのもの

普段の私たちは

『私』というエゴ(自我)に縛られていて
『もっと欲しい』『こうなりたい』
『あれが嫌だ』とあらゆる欲望や恐れに
振り回されています

ラマナが言う『真の明け渡し』は
このエゴを手放し、真我の愛に還ること

それは、神や宇宙への信頼と一体感を通じて
私たちが本来の愛の状態に戻ることなんです

つまり、本来の自己に対する絶対的な信頼

 

完全な明け渡しとは
欲望を手放すこと

 

ラマナは言います。

『完全な明け渡しのためには自分自身の
いかなる欲望も持たないことが要求される』


ここで言う『欲望』とは、私たちが普段持つ
あらゆる願い、執着、期待のことです。

たとえば

• もっとお金が欲しい

• 理想のパートナーに出会いたい

• 健康になりたい

• 仕事で成功したい


こうした望みは、人間として生きる上で
自然ことですよね

しかし、ラマナは
『欲望がある限り、あなたはエゴの視点に
とどまる』と言います。

ただ

『自分自身のいかなる欲望も持たない』
ということは
『何も欲しがらないで我慢しなさい』
ということではないのです

欲望がどこから生まれるのかを深く
見つめること

つまり、欲望を持つことを問題とするのではなく
エゴがら生じる
『足りない・満たされない』
という
錯覚に気づくことが重要だと説いています

このような欲望は
『今ここに在る自分では不十分だ』
という思い込みから生まれるもので

・今の私はまだ満たされていない
・これが手に入らなければ、私は完全ではない
という前提なので、一時的に満足しても
永遠に満たされることはありません

けれども

本来の自己に目覚め
『在る(真我)』として生きる時
何かを得ることで幸せになるのではなく
今この瞬間、すでにすべてが満ちていると
気付きます

『今この瞬間にすべてがある』
その気づきが愛となって、満たされ
欲望は消えていきます
(欲望は消すものではなく、愛によって消える
というのがポイント)

欲望は、真の自己ではなく
自我(エゴ)が作り出した幻想にすぎない
というのがラマナの教えです

 

『 神のみぞすべてなり』
『神の御心のままに』の境地

 

『神のみぞすべてなり・神の御心のままに


という言葉は、深い信頼と一体感を
表しています。

ここで言う『神』は、特定の宗教の神ではなく
宇宙の摂理や生命そのもの
つまり『在る』すべての根源のこと

真我の愛の視点から見ると、私たちは
神と別々の存在ではなく、神の一部であり
神そのものです。

『神の御心のままに』とは
『小さな私(自我)』の計画や期待を手放し
大きな流れに身を委ねること。

そのとき、私たちは愛そのものとして
生き始めます。

たとえば、大好きな人がいて
その人と結ばれたいと強く思うほど
苦しくなるのに
ふと...

『その人が幸せならそれでいい』
自然に思える瞬間がありませんか?

その感覚が『明け渡し』の小さな例です

すべてを神に委ねるとき
重荷が軽くなるんです。

つまり、執着がない
それが本来のあなたです

愛そのもの

ラマナはさらにこう言います。

『あなたはなんであれ神が与えてくれるものに満足しなければならず
それはつまりあなた自身の欲望を
持たないということを意味する』

 

これを聞いて
『じゃあ何も望んではいけないの?』
『ただ流されるだけの人生になるの?』
と思うかもしれません。

だけど、そういうことではなくて

『私がこうしたい』というエゴの意志を超えて
もっと大きな流れにすべてを委ねること

欲望を超えた視点から自己の本質を見つめ
真の意味で自由になること

たとえば、あなたがある仕事をしたいと
思ったとします。
でも、どんなに頑張ってもうまくいかない

そこで『なぜうまくいかないの?』と
苦しむのではなく、こう考えるのです。

『これは、私が望むことではなく
もっと大きな流れの中で最善のことが
起きているのかもしれない』

もしその仕事が本当にあなたにとって必要なら
タイミングが整ったときに自然と流れていきます。
もし違う道が用意されているなら
別の形であなたに示されるでしょう。

理想のパートナーとのご縁もそうです。
『この人と一緒になりたい!』
って強く思っても、中々うまく行かない時は
もっと大きな流れに中で
最善の事が起きているのです

明け渡しとは、何もせずただ待つことではなく

『今ここに流れている愛に
すべてをゆだねること』

 

明け渡しの本当の意味
『在る』に集中すること

ラマナは言います

 『神への完全な明け渡しとはすべての想念を
 放棄し心を神に集中させることである』
 もしそれができれば、他の想念は消え去る


これはつまり

『すべてを手放して、ただ『在る』ことに
目覚めなさい』ということです。

『すべての想念を放棄し、心を神に集中させる』

これは、頭の中のおしゃべりを静め
真我の愛にチューニングを合わせるようなもの。
真我は「今ここ」にしかありません。

でも、普段の私たちの意識は、未来や過去
あらゆる思考にとらわれています。

でも、本当に大切なのは『今ここに在る』こと。

『ただ在る』ことに意識を向けると
そこには何の不足もないことがわかります。

何かを得るために頑張る必要もなく
(何かを得ようと頑張るのは『今持っていない』
という前提があるから)
ただ存在していることがすでに
愛そのものなのです。

『他の想念が消え去る』というのは
無理やり抑えるのではなく
愛に集中することで自然にそうなるところが
ポイントです

愛は光のようなもので、光が強くなれば
影(雑念)は自然に薄れていくんです。

さらに、ラマナは言います

 

もし心、言葉、身体の行為が
神に融け合えば、人生のすべての重荷は
神のものとなるのである。

 

これは、生き方そのものが愛の表現になる
ということです

心で愛を感じ、言葉で愛を伝え
行動で愛を実践する。

すると、私たちの人生は神(真我)の
流れと調和し、重荷が消えるんです。

たとえば

誰かを助けるとき
『よく思われたい』というエゴではなく

心から『その人が幸せになってほしい』
と思うとき、とてもあたたかい何かに
包まれる感覚がありませんか?

それが本来のあなた
真の愛です

真の愛が循環するとき
重荷は自然に神に預けられ
私たちは自由になります。

あなたが握りしめているものを手放し
愛で在ることで、重荷は自動的に
すべて神(真我)のものになる 

(真我はただ在る観照者なので何の影響も受けない
重荷を預けても、重荷を背負うこともありません)

私は誰か?
自我が消えれば欲望も自然に消えます

自我は真の自己(真我・純粋意識)に溶けていく

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『何に明け渡すのか』

こう問いかけるなら、ここ問い自体が
最終的には無意味になります。
なぜなら、真我以外に何も存在しないからです。

『明け渡す』とは
自我が真我に吸収されること。

真我はすでに唯一の実在であり
自我は幻想にすぎません。

したがって

『明け渡す対象』は真我以外にあり得ず
しかも真我は『外にある何か』ではなく
あなたそのものです。

真の明け渡しとは
明け渡す者が不在になること

     実践することが大事!

ラマナは『真の明け渡し』を日常生活の中で
どう生きるかを以下のように示唆しています

 

・執着を手放す
→結果や欲望に執着せず、全てが自然に
起こるままに任せる。

・抵抗しない
→人生の出来事(喜びも苦しみも)に抵抗せず
それらが真の自己に影響を与えないことを知る。

・静寂に留まる
→心が騒がしくなっても『それを見つめる者』
に意識を向け続ける。

 

まとめ 
明け渡しの本質

 

明け渡すとは

→自我が消えること。
「私」という思いが心の源(真我)に沈み込み
もはや分離した主体が残らない状態。


何に明け渡すのか

真我(本来の自己)。ただし、真我は
『明け渡す対象』として外側にあるものではなく
すでに存在する唯一の実在。
自我が消えることでそれが明らかになるだけ。
真我=あなた

明け渡しが完遂されると
『明け渡す者』も『明け渡されるもの』も消え
ただ真我だけが残る。
実際には『残る』という表現さえ不正確で
真我は常にそこにあったもの

真我は本来のあなただから

 

最後に...

ラマナはこうも述べています

『自我が真我に明け渡すのではない
自我が消えると、真我だけが輝く。
それが明け渡しだ』


自我の消滅

沈黙こそがラマナの最高の教えとなります

 

Pure soul からのメッセージ》

あなたは、もうすでに愛の中にいます。

あなたが何かをしなくても
何かを手に入れなくても
すでに、すべてが満ちている。

もしも

『私は手放せない」と思うなら
その気持ちをそのまま見つめてあげてくださいね

その気持ちすらも、在るがままに
愛されているのだから。

あなたは、何一つ背負わなくていい。

すべてを手放して
ただ在るがままに生きるとき

人生は思いがけない優しさとともに
流れ流ように動いていきます。

 

《魔法の言葉》

欲望を超えた真の平安が
既に私の内にある

私はいつも満ちている

私は在る

 

静かにこの言葉を心に響かせてみてくださね。

それだけで、あなたの中の何かがふっと
軽くなるのを感じるはず

今日も読んでくれてありがとう♡

 

youtu.be

真我の自分から、地球で生きる自分への愛を
唄にしてみたのでよかったら
聞いてみてください♡

 

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