pure soul true love 純粋意識⭐︎沈黙の書

真我の視点から、人生をより自由に、より愛に満ちたものへと変えていくためのヒントをお伝えしています

行為者はいない⭐︎すべてはただ起こっている」ラメッシ・バルセカールの言葉

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すべてはただ自然に起こっている。
それは「私」が選び、決めて
行っているのではない

行為者はいない。

何かをする「誰か」がいるという感覚は
思考による幻想にすぎません

この明確な気づきが訪れたとき
人生は重さを失い、深い安らぎが現れる。

 

「人生は起こるもの。
あなたが生きているのではなく
人生があなたを生きているのです」

── Ramesh Balsekar

 

「やるべきことをやる“誰か”などいない。
宇宙の動きの中で
出来事が自然に起きているだけだ」

── Ramesh Balsekar

 

この世界で起こるすべてのこと。
それは、あなたの努力や失敗、願いですらない。

完全なる原因と結果の流れのように
見えるけれど

その原因すらも、ただ自然に現れては
消えているだけ。

実のところ、何一つ説明する必要のない
「ただそうである」現れ。

だからこそ、安らぎがある。

そして、責めるべき誰もいないという
深い自由があります

私たちは日々、自分の選択によって
人生を歩んでいると思っています。

でも、もしその「選んでいる私」さえ
幻想だったとしたら?

ラメッシ・バルセカールは
『行為者はいない』と語ります。

この深い理解は、他者を赦し、自分自身を赦し
人生を信頼する静けさへと導いてくれます。

今日は『行為者がいない』という智慧
6つの視点から整理し
それぞれにラメッシの直接の言葉を
添えて紹介していきます。

 

1
選んでいるようで
選んでいない

行為はただ起こっている

 

私たちは日々、自分が意志を持って
『選択している』『行動している』と
信じています。

しかしラメッシ・バルセカールは
『自由意志は幻想であり、行為者はいない』
説きます。

つまり、人生におけるあらゆる行為
決断、出来事は、宇宙的な因果の流れの中で
自然に起こっているということです。

思考や感情、衝動、環境、条件づけ
それらの相互作用により
ただ「出来事」が起きているのです。

 

「思考が起こり、感情が起こり
行為が起こる。そこに“私”がしている
という事実はない」

「出来事は起こる。しかし、それを
“誰かがした”と思うのは思考の錯覚だ。」

— Ramesh Balsekar

 

2
誰かに傷つけられたと
思う時もそれは
『ただ起こった』出来事

 

たとえ誰かの行為に深く傷ついたとしても
ラメッシはそれも

『その人のコントロールを超えた
プログラムに
より、ただ起こった現象』

だと言います。

人は誰もが、生まれ持った性質や
育った環境、経験、カルマ的傾向などによって
特定の行動をとるよう“プログラム”されている

その人もまた、気づいていない領域で
そうするしかなかったのです。

 

「誰もが、自らのプログラムに従って
最善を尽くしている」

「被害者も加害者もいない。
あるのはただ、出来事だけ」

「加害者も被害者もいない。
ただ宇宙の法則が機能しているだけだ。」

「誰かがあなたを傷つけたとしても
それは、そうするようにプログラム
されていただけのことだ。」

— Ramesh Balsekar

 

3
「行為者がいない」
という理解は

他者を赦すことにつながる

 

この理解は、知識レベルの「許そう」
ではありません。

怒りや恨みを無理やり抑えるのではなく
自然に手放されていく赦しです。

なぜなら、誰もわざとあなたを
傷つけたのでは
ないと見えてくるからです。

そう思えないかもしれませんが
その行為は、ただ起きたのです。

すると

「許すべき誰か」も「許す私」も
存在しないとわかります。

そして

怒りも憎しみも、握り続ける理由を
失い、自然に溶けていきます。

 

「赦しは、理解から自然に起こる」

「赦す人も、赦される人もいない。
ただ、出来事が消えていく」

「行為者がいないという理解が深まると
赦すという行為すら必要なくなる。」

「それは知識ではなく、深い理解だ。
理解があるところに、怒りや憎しみは
根を張ることができない。」

— Ramesh Balsekar

 

4
「私」は誰なのか?
自己という感覚の崩壊

 

行為者がいないという真の理解は
「私が考えている」「私が感じている」
という感覚にも疑問を投げかけます。

思考も感情も、どこからともなく
自然に起こりやがて消えていきます。

「それらを観ている意識」が真の自分であり
その観照の意識には
「私」も「他者」も、「良い」「悪い」
もないと気づくでしょう

「あなたは、現れては消えていくものではなく
それを見ている“意識そのもの”である」

「“私”はただの名前にすぎない。
実際に存在するのは、出来事と
それを知覚する意識だけだ。」

— Ramesh Balsekar

 

5
信頼と明け渡し
宇宙の流れにゆだねる

 

この理解が深まると、人生は
「努力して操作するもの」から
「静かに眺めるもの」へと変わります。

すると

祈りや感謝も「私がする」ものではなく
ただ自然に湧き起こる表現として
現れてくるのです。

「私は何もしていない。
ただ、祈りが起こっている」

「明け渡しとは、感情を否定することではなく
それに巻き込まれず、そっと見守ること」

「する私がいないと知るとき
人生はコントロールするものから
眺めるものに変わる。」

「祈りや感謝が起きるとき、それもまた
自然な出来事だ。私がしているのではない。」

— Ramesh Balsekar

 

6
すべては光に変わる
出来事の恩寵

 

過去に苦しみをもたらした出来事も
『ただ起こった』と受け入れられた時

その出来事が今の静けさ・理解・優しさを
育てた恩寵として感じられるようになります。

その瞬間、被害者意識が消え
出来事が光に変わるのです。

それは、人生への深い信頼、「宇宙の完璧性」
への目覚めとも言えるでしょう。

 

「過去に苦しみとして現れたものも、それが
あったからこそ、今の理解に至っている。」

「すべては完全な計らい。
あなたの人生に起こる出来事に
間違いは一つもない。」

— Ramesh Balsekar

 

 

まとめ

 

理解の深まり
結果として現れること
行為者がいない
他者や自分への赦しが自然に起こる
出来事はただ起きていると理解すると
被害者意識が溶ける
すべてはプログラムされた流れ
他者への怒りが収まる
私はただの観照意識である
ただ純粋な意識
それに気づくと

感情に巻き込まれなくなる
人生は操作するものではない
明け渡しと静かな祈りが湧き
誰も悪くないと理解する
すべてが光になる

 

⭐️Pure soulからのメッセージ⭐️

この人生は

「誰かが生きている」のではなく
ただ生きるという現象が流れているだけ。

それを

生かされていると表現するのでしょう

苦しみさえも、あるがままに
流れてゆくならば
私たちはただ、純粋な意識として
今に在るだけでいい。

そして、愛は常にここに在る
今日もその静けさの中に
還っていきましょう♡

 

読んでくださって
ありがとう♡

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最新曲は、カタカムナ
讃美歌のようにつくってみました。
聴いてみてね♡

youtu.be 

 

神の御心のままに
全ては愛の中で起きている    

youtu.be