
すべてはただ自然に起こっている。
それは「私」が選び、決めて
行っているのではない
行為者はいない。
何かをする「誰か」がいるという感覚は
思考による幻想にすぎません
この明確な気づきが訪れたとき
人生は重さを失い、深い安らぎが現れる。
「人生は起こるもの。
あなたが生きているのではなく
人生があなたを生きているのです」
── Ramesh Balsekar
「やるべきことをやる“誰か”などいない。
宇宙の動きの中で
出来事が自然に起きているだけだ」
── Ramesh Balsekar
この世界で起こるすべてのこと。
それは、あなたの努力や失敗、願いですらない。
完全なる原因と結果の流れのように
見えるけれど
その原因すらも、ただ自然に現れては
消えているだけ。
実のところ、何一つ説明する必要のない
「ただそうである」現れ。
だからこそ、安らぎがある。
そして、責めるべき誰もいないという
深い自由があります
私たちは日々、自分の選択によって
人生を歩んでいると思っています。
でも、もしその「選んでいる私」さえ
幻想だったとしたら?
ラメッシ・バルセカールは
『行為者はいない』と語ります。
この深い理解は、他者を赦し、自分自身を赦し
人生を信頼する静けさへと導いてくれます。
今日は『行為者がいない』という智慧を
6つの視点から整理し
それぞれにラメッシの直接の言葉を
添えて紹介していきます。
1
選んでいるようで
選んでいない
行為はただ起こっている
私たちは日々、自分が意志を持って
『選択している』『行動している』と
信じています。
しかしラメッシ・バルセカールは
『自由意志は幻想であり、行為者はいない』
と説きます。
つまり、人生におけるあらゆる行為
決断、出来事は、宇宙的な因果の流れの中で
自然に起こっているということです。
思考や感情、衝動、環境、条件づけ
それらの相互作用により
ただ「出来事」が起きているのです。
「思考が起こり、感情が起こり
行為が起こる。そこに“私”がしている
という事実はない」
「出来事は起こる。しかし、それを
“誰かがした”と思うのは思考の錯覚だ。」
— Ramesh Balsekar
誰かに傷つけられたと
思う時も、それは
『ただ起こった』出来事
たとえ誰かの行為に深く傷ついたとしても
ラメッシはそれも
『その人のコントロールを超えた
プログラムにより、ただ起こった現象』
だと言います。
人は誰もが、生まれ持った性質や
育った環境、経験、カルマ的傾向などによって
特定の行動をとるよう“プログラム”されている
その人もまた、気づいていない領域で
そうするしかなかったのです。
「誰もが、自らのプログラムに従って
最善を尽くしている」
「被害者も加害者もいない。
あるのはただ、出来事だけ」
「加害者も被害者もいない。
ただ宇宙の法則が機能しているだけだ。」
「誰かがあなたを傷つけたとしても
それは、そうするようにプログラム
されていただけのことだ。」
— Ramesh Balsekar
3
「行為者がいない」
という理解は
他者を赦すことにつながる
この理解は、知識レベルの「許そう」
ではありません。
怒りや恨みを無理やり抑えるのではなく
自然に手放されていく赦しです。
なぜなら、誰もわざとあなたを
傷つけたのでは
ないと見えてくるからです。
そう思えないかもしれませんが
その行為は、ただ起きたのです。
すると
「許すべき誰か」も「許す私」も
存在しないとわかります。
そして
怒りも憎しみも、握り続ける理由を
失い、自然に溶けていきます。
「赦しは、理解から自然に起こる」
「赦す人も、赦される人もいない。
ただ、出来事が消えていく」
「行為者がいないという理解が深まると
赦すという行為すら必要なくなる。」
「それは知識ではなく、深い理解だ。
理解があるところに、怒りや憎しみは
根を張ることができない。」
— Ramesh Balsekar
4
「私」は誰なのか?
自己という感覚の崩壊
行為者がいないという真の理解は
「私が考えている」「私が感じている」
という感覚にも疑問を投げかけます。
思考も感情も、どこからともなく
自然に起こりやがて消えていきます。
「それらを観ている意識」が真の自分であり
その観照の意識には
「私」も「他者」も、「良い」「悪い」
もないと気づくでしょう
「あなたは、現れては消えていくものではなく
それを見ている“意識そのもの”である」
「“私”はただの名前にすぎない。
実際に存在するのは、出来事と
それを知覚する意識だけだ。」
— Ramesh Balsekar
信頼と明け渡し
宇宙の流れにゆだねる
この理解が深まると、人生は
「努力して操作するもの」から
「静かに眺めるもの」へと変わります。
すると
祈りや感謝も「私がする」ものではなく
ただ自然に湧き起こる表現として
現れてくるのです。
「私は何もしていない。
ただ、祈りが起こっている」
「明け渡しとは、感情を否定することではなく
それに巻き込まれず、そっと見守ること」
「する私がいないと知るとき
人生はコントロールするものから
眺めるものに変わる。」
「祈りや感謝が起きるとき、それもまた
自然な出来事だ。私がしているのではない。」
— Ramesh Balsekar
すべては光に変わる
出来事の恩寵
過去に苦しみをもたらした出来事も
『ただ起こった』と受け入れられた時
その出来事が今の静けさ・理解・優しさを
育てた恩寵として感じられるようになります。
その瞬間、被害者意識が消え
出来事が光に変わるのです。
それは、人生への深い信頼、「宇宙の完璧性」
への目覚めとも言えるでしょう。
「過去に苦しみとして現れたものも、それが
あったからこそ、今の理解に至っている。」
「すべては完全な計らい。
あなたの人生に起こる出来事に
間違いは一つもない。」
— Ramesh Balsekar
理解の深まり
結果として現れること
行為者がいない
他者や自分への赦しが自然に起こる
出来事はただ起きていると理解すると
被害者意識が溶ける
すべてはプログラムされた流れ
他者への怒りが収まる
私はただの観照意識である
ただ純粋な意識
それに気づくと
感情に巻き込まれなくなる
人生は操作するものではない
明け渡しと静かな祈りが湧き
誰も悪くないと理解する
すべてが光になる
⭐️Pure soulからのメッセージ⭐️
この人生は
「誰かが生きている」のではなく
ただ生きるという現象が流れているだけ。
それを
生かされていると表現するのでしょう
苦しみさえも、あるがままに
流れてゆくならば
私たちはただ、純粋な意識として
今に在るだけでいい。
そして、愛は常にここに在る
今日もその静けさの中に
還っていきましょう♡
読んでくださって
ありがとう♡
最新曲は、カタカムナを
讃美歌のようにつくってみました。
聴いてみてね♡
神の御心のままに
全ては愛の中で起きている